生きづらさを愛と光へ!NO.42 ほぼ不登校で時々学校へ行く受験生の娘のために母親の私ができること。

9年間、義母の介護をしてきた私だったが、結局、義母が介護老人保健施設に入ったのが4月半ばだったので、それからというもの、私の時間というものも急にできてきた。

とは言え、中3の娘は今では学校へ行かない日の方が多くなったので、母親の私がやっていることは、娘が保育園へ行っている頃とさほど変わらないなと良く思うのである。

娘には26歳の兄と24歳の兄がいる。
娘が小学生の時に、2人とも就職で県外へと行ってしまい、兄妹と言っても、ひとりっ子状態になって長い。

娘は、3〜4歳の頃から吃音が少しづつ出始め、初めは本人も気にならない程度だったが、思春期、コロナ禍、義母が一旦施設に入った時に、私がパートに出た、そんなことが重なり、5年生ごろから、学校を休む日が多くなった。

それと同時に娘にとって1番大切な時期と、義母の介護の時期がピッタリと言うくらいハマった。

中学校へ入学前は、おそらくSNSの影響だろうけど、凄く楽しみに中学生になることに憧れていたが、SNSと現実とのギャップにと言うのか、吃音症状があることで、自己紹介や発表の時に休むようになった。

しかしそれから今はもう中3、気付いてみたら、それだけではなくて、何かある、本人が面倒くさいと思う時にも休むようになったのだと思う。

部活動のとても厳しい環境の中、どうしても辞めるという選択をした時からますます学校へ行かなくなった。

コーチとは、ちゃんと学校へ行くと約束し、音楽部で頑張ると言って、その場を収めたが、そこからは娘はコーチのことは直ぐに忘れてしまったのだろう…
母親の私は今でも思い出すが…

本人しかわからない部分もあるが、正直、こんなに休んでいても、たまには行く、割と行事の時には行く。

昔だったら考えられないが、それで成り立っている。

私だったら、娘くらい学校を休んだら、もう一生、中学校へは行きません!と言ってしまいたいくらいであるが、娘の場合、それでも中学校という場所へは行く。

こんなに休んでいても行ける。
ある意味図太い。
良い意味で凄い。

母親は、普通ならこんなに中学校へ電話することはないだろうが、一体、何度中学校へ電話すれば良いんだよ!と、たまには、ぼやきたくなることもある。

と言っても、あと数ヶ月か、まあ良いかと自分の気持ちを高く持っていくように心掛けている。

娘は夜が寝れないと言う、ある意味羨ましい。
私は早々眠くなり、夫の帰りが遅いので、ウトウトしてしまい、そこからまた起きて、夫のご飯を用意して、しばらく夫の愚痴を聞いてから、時間を見て2階に上がる。

もう少し自分の時間を有効に使いたいとは思うが、ここは上手に使うしか他ない。

娘は、学校へ行かない日はもう起きてこない、母親の私も最近は前の日に、次の日学校へ行くという時は何となくわかるようになった。

明日学校へ行く!と言う日は、何かしら言ってくるし、気持ちが上がっている気もする。

正直、家にずっといた頃よりも、何倍も良いと、私は思っているし、思うようにしている。

ずーっと部屋に篭りっぱなしとなると、パジャマから着替えない、部屋から出てこない、ご飯と呼んでもなかなかこない、まあこんなことはもう日常。

兄2人の時はそんなことがなかったので、最後の子どもの子育てで、学ばされているのだと思う。

5月くらいから、学校へ行けない子どもたちの行く教室にやっと行けるようになった。

今年の1月に、同じ町内にそんな教室ができたので、と言うのか、教育委員会を通してだけれど、違う町までだと大変だけれど、車で10分ほどのところなので、大体は、学校へ行けない日は、家で早めのお昼ご飯を食べてから、2時半までそちらの教室にお世話になっている。
学校に登校したことにもなる。

時々、親の私は、こんなことして何か娘の役に立ってるのだろうか?と思うこともないわけではない。

中学校の担任の先生にメール、教室の先生にLINE。

何だかな〜と間に挟まれ気持ちもキツくなることだってある。

しかし、これが何もなくて、部屋にずーっと篭りっきり、誰とも接触せず、数日過ごすよりも、一応着替えて、私の送迎ででも行き帰りし、そして、高校のことも毎日話しているだけでも、良いのではないかと思うのである。

教室の先生も、こうしたら?とかこうした方が良いと思うよ!ということはいっさい仰らないので、娘のありのままの、今の娘のことを受け容れて下さってるのだと思う。
何て良い先生!

娘にだって、自分でわかる時がくる!そう信じたいが、このダラダラぬるま湯の状況から、すぐすぐと、学校行きます!とはならないだろうし、高校も結局は週に1〜3日ほど行く通信制という考え方に偏ってきた。

担任の先生も、親も全日制というのが頭の隅にはあるが、結局最終的な決断は娘本人であるから、いくら色々言ったところで同じだ。

気持ちの変化は、環境が変わらないとなかなか難しいとも思う。

私が受験生だった頃も、親の言うことは聞かなかった。

最近読んだ心理カウンセラーの方が書いた本の中で、親が子どものやりたいことをやらせずに、子どもの言うことにも耳を傾けず、親の思いだけで、子供の思いを無視して育てた場合、その反動的なものがあると言うようなことを、色々な子育ての例をあげて書かれていたが、とてもよくわかった気がした。
子は親の鏡と良く言われるが、正しくそれである。

私も中学生までは、否定しかされていないと言うくらい、父親は子どものことは野放し、人の気持ちなんて何一つ考える父親じゃなかった。
何一つ受け容れてもらえなかった。
そのことは事実として残る。

50歳の時に奇跡的に自分の生きづらさを本当の意味でわかってくださる先生に出逢ったおかげで、父親のことも今ではすっかり受け容れた私であるが…

母親は優しかったが、私が10歳の時に亡くなった。
そのことからとても立ち直れなかった私自身。

その本を読んだ時、私は15歳で家を出て、本当に正解だったし、そこでやりたいようにやっていて本当に良かったと改めて思えた。
それがなかったらとても今までまともに生きていないとまた、改めて思えた。

まだ、娘本人も気持ちはあちこち飛んでいるが、母親の私も、ついつい、学校明日は行けば?と担任の先生と、教室の先生と連絡を取っていると、板挟み状態になるので、そんな言葉をかけてしまう。

この状況は色々言ったところで変えられない。
娘は今、自分のやりたいように自己表現してるのだと思う。

これができてないと、どこかで精神的な病になることは相当な確率で高い。

この状態を、普通に学校に行けている子どもの親御さんから見ると、甘えてるとか、親が悪いとも考えられるかもわからないが、決してそうじゃない。

親が悪いと言うよりも、親自身も状態である。

母親の私もそうだろうけど、父親である夫の育った家庭環境や、本人の考え方も、かなりの確率で今の娘の状態に結びつくと思う。

もっと言うと、夫婦で過ごしてきたこれまでの時間や、考え方、接し方、捉え方、生きてきた全てが関係していると思ったくらいの本の内容だった。

弟に借してもらった本だけれど、いや、これ買おう!と考えている。

これから先、私がやっていきたいことの役に立つと思ったからである。

ほぼ不登校で、時々学校へ行く受験生の娘のためにできることは、今やっていると思うがそれが果たしてどうなの?と思うこともある。
しかし、今日、教室の先生と話していたら、先生も私と同じような考えだなと思えた。

この先生はやっぱり話がわかる、良い先生だと改めて思ったのである。

今できることは娘の今の状態、ありのままの娘を認め、親として行動することだと思う。


今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^






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