元号が示されたね
今日はあえて書くとすると、平成31年を過ぎて重ねて変更される元号が「令和」になったなということ。
ぶっちゃけた話をすると、そんなにどうしても書きたいことがないという日である。おどろくほどに書きたいことがない、そんな日である。
エイプリルフールなのであからさまでわかりやすいウソの話と、新しい年度始まりってことでしっかり気合の入った話と、元号が変わりそうなギリギリまで新しい元号はこれかなという話でタイムラインが埋め尽くされていた。
家の外を歩いていると、先週末のあまりよくない天気予報の割に、思いのほか散ることもなく綺麗に咲いた桜を今がその時と見るべく、多くのひとが僕の家の近くにある新宿御苑に集まっているようなそんな日であった。
いろいろとそのあと人にも会い、新しい出会いもわくわくした。ただとにかく今日は30年ちょいぶりに変わる元号が発表されたということが世の中的にはビッグニュースであった。
街を歩きながら、このビッグニュースをなんも気にしてない人もいるだろうし、ものすごく大事なことだと感じている人もいるだろうし、いいなと思った人もいるだろうし、なんだこれ!!と思って怒った人もいるかもしれなくて、そんなことはさておきシステム変更が死ぬほど大変だから、もうほんとなんでもいいけど死にたくないな、って思っている人もいるだろうなとか、そんなことを思って過ごしていた。
このタイミングでニューアルバムの名前を令和に寄せてくるなどの工夫をしたり、新楽曲を令和にする人たちもいるし、自分の名前に令や和が入っていたり、「令和」そのものだったりする人もいるだろうし、この元号の発表に向けて準備を着々と進めてきた人たちもいるだろうし、秘密を守り通す立場にあった人たちにとってはようやく自分の重たい荷物を下ろせるような気持ちになれたのかもしれない。
まあ本当に元号が変わることによって人生の意思決定を大きく変えることになる人もいる中、今日一日限って言えば「僕にはほんとなんの関係もない」と思って、ただただ今日を過ごした。
ほんと話題というのはつくづく「ひとそれぞれ」であるなと感じた。
むむ。そうか。たまたまそういう機会があるかないか、それによってその話題に興味があるかないかが決まるのだ。その機会はいつ誰に訪れるかどうか分かりはしないし、その際にどんな行動でその情報に触れるかは予想もつかないものだ。
だから、急になにか自分が関係なかったはずの話題に巻き込まれることもあって、そのときに初めて長いことかけて情報をまとめてくれていた誰かの情報に触れて、ははぁ〜そんなことがあるのか、と初めて出会うのだな。
今日のこの話題なんか、だれの目に触れないかもしれないし、いつか誰かがどこかのタイミングで目にするかもしれないし、その時に「なにこの駄文」って思うのかもしれないし、もしかすると「すげーわかること書いてる」って思うのかもしれない。それはもう、たまたまその人がそのとき積み上げてきた感受性でもって、そのとき出会った作文に対して判断をするんだな。
だから、そんなもんを誰がどう受け取るかなんてことを気にするよりも、今日もこうしてよくわからない感情を言葉にしながら続けることが、いつかの誰かのタイミングになるのかもしれないと思って書けばいいんだな。うむ。
なんかわかった気がする。
でもうまくは言えていない。