本屋さんを散歩しよう
私が人と待ち合わせをする時には、本屋さんを指定することが多いです。
外で人と待ち合わせると雨が降ったり、寒かったり暑かったりすることがあるので、できるだけ屋内で待ち合わせるようにしています。
しかし、屋内の待ち合わせ場所だと、駅とかは人通りが多くて見失いやすいですし、喫茶店などは何かを頼まないと行けないですし、そうするとお金も使うことになります。
お金を使わずに時間を潰して人を静かに待つことができるという意味では、本屋は格好の待ち合わせ場所ではないかと私は思っています。
そう。待ち人と出会えた時に手にとっていた本をネタにその日の会話始まったり、みたいな楽しみもできますしね。
でも、人との待ち合わせがなくてもフラッと本屋さんに立ち寄ってブラブラと時間を潰すのが私は好きです。
先日、以下のコラムを見つけました。
前編は本屋さんの配架についての話と、本の選び方のお話。
後編はたくさんの本の中から自分に合った本をどうやって見つけるのかというお話。後半に出てくる書棚を見ながら考える「書店思考」というのもなかなか面白い発想法だなと思いました。
コラムを読みながら、自分自身の場合はどうだろうとふと思います。
自分は本屋さんをどのように散歩しているだろうか…なんて。
本屋さんと私
初めてひとりで本を買いに行ったのは小学校の低学年の頃だったと思います。
私の生まれ故郷の函館(母親の実家)にお盆と正月に行くとお祖父ちゃんが、
「本ならいくらでも買ってきていいぞ。お金は払わないでツケてもらってこい」
と近所の本屋さんに自由に本を買わせてくれました。
顔認証、ツケで本を無限に買えるなんて、今思うと、なんと恵まれた環境!
その本屋さんは大きさとしてはせいぜい12畳程度のそれほど大きくない古い書店でしたけれど、小学生だった私は「タダの本屋さん」とはしゃいで、本当に買いたいだけ好きな本を買ってきていました。
もっとも普通の本屋さんですから、そんなに子供向けの本など置いてはいなかったのですけれど。
ですが、とてもポジティブで楽しい印象を本屋さんに対して持つことができたのはお祖父ちゃんのおかげだなと思っています。
たくさんの本が棚に並んでいる中で自分の好きな本を見つけ出す楽しさ、本屋さん独特のインクの匂い…それらに浸る贅沢な時間。
子供だった私にとっては様々な色の表紙が並んでいるのを眺めているだけでも楽しかったですし、毎日訪れても飽きない場所になってくれました。
お気に入りの本屋さん
中学に入ると、私立の中学に自宅から電車に乗って通うようになりました。
今はそうでもなくなってしまいましたけれど、昔はどの駅にも駅の近くに必ず本屋さんが一つ、二つあったものではないかと思います。
通ってた中学の最寄り駅は、現在のJRの田町駅でした。
そこには、虎ノ門書房があります。(今もあると思います)
函館の小さな書店と比べると、その4倍はあろうかという大きな本屋さんに当時は感じました。
でも、歩き回るのにはちょうど手頃な大きさで、どのコーナーにどんな本が並んでいるのかが頭に入ってきやすかったのを覚えています。
通学の帰りに毎日寄って、新しい本が入っていると手にとって眺めて、しばし立ち読みしてました。
当時はいろんな本を読んでいましたね、今思うと。
ノンフィクション、小説、新書、文庫本、科学書(ブルーバックス)、そしてもちろん雑誌(ロックが好きだったので音楽雑誌)も。
友人は紀伊国屋書店や三省堂書店、あるいは渋谷の大盛堂書店を勧めてくれていましたけれど、欲しい本を見つからない時以外はそういう巨大書店に行くことは私はありませんでした。
なんというか、大きいところではなく、手頃な大きさの書店で、その本屋さんが推してくれている本と出会うのが好きだったのかもしれません。
そう。出会うだけでよかったんです。
お小遣いは少なかったので、出会った本を買って読むことはできなかった。代わりに図書館で借りたり、持っている友達に借りたりしていました。
それに、たとえ読まなくても、そういう本があるのだって知るだけでも豊かな気持ちになれました。
本屋に散歩に行く理由
今も私は、時間ができるとフラッと本屋さんに行きます。
どこに住んでいていてもお気に入りの本屋は見つけていて、今住んでいる大阪では、梅田の蔦屋書店でしょうか。
同心円状の店舗になっているので、散歩するにはちょうど良いんです。
気づくとぐるぐると何周も回っている時もありますけれど、中にスターバックスもありますし、照明も暗めで静かで落ち着いて本との出会いを楽しめます。
普段欲しい本ができた時には、その場でAmazonで注文をしてしまっているのですけれど、新たな本と出会いたい時には本屋さんに行くに限りますね。
本屋さんに行く理由にはいくつかあると思います。
コラムの中にもありましたけれど、売れている本が分かりますし、配架の仕方で書店主のおすすめの本が分かります。場合によっては書店員がメモ(ポップ)をつけている本屋さんもあります。
また、一冊の本に関係する別の本を並べている場合もありますよね。
テーマが同じ本や、著者が同じ本。あるいは賞を取った本とか。
そして当たり前ですが、本屋さんが最も素敵なところは、それを手にとって読むことができるところでしょう。
表紙や帯、装丁に見惚れてしまう本もあれば、タイトルに惹かれて手に取り、「はじめに」や目次を読んでいるうちにすっかり引き込まれるような本もあります。
本を選ぶのって服を選ぶのに似ている部分はあるかもしれません。
今はコンシェルジェがいる本屋さんもずいぶん増えてきたようですしね。
ハウスマヌカン(死語かな)が自分に合う服を勧めてくれるように、「こんな本を探してるんだけれど」と相談するとぴったりな本を選んでくれるんですかね。
それはそれでサービスとしては素敵だなと思いますけれど、コンシェルジェがいる本屋に行っても、私はでも話しかけたことはないですし、話しかけようとは思わないかもしれません。
なぜなんだろう、って考えてしまいます。
そうですね、やっぱり時間がない時以外はコンシェルジェや店員さんには聞きそうにありません。
というのも、やはり私にとって本屋さんは散歩する場所なんだと思います。
自然の中の小径を散歩するように歩き回り、そこで木や草花、鳥や風と出会うように、本とも思いがけない出会いや発見を楽しみたい…そんな風に思います。
本屋さんまで行かなくても、ネットで欲しい本を見つけて自宅にまで送ってもらうことができてしまいます。あるいは買う必要すらなく電子書籍でその場で読み始めることもできてしまう…
ほんとうに便利な世の中になりました。
でも、本屋さんは無くならないで欲しいなぁ。
本屋さんに行く目的は本を買うことではなく、知的な冒険を愉しみたいからなので。