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「Summer」を聞いて「菊次郎の夏」に思いを馳せる
仕事おわりの那覇空港、一台のストリートピアノ。
ワンピースを着た少女が鍵盤を叩くその曲は、久石譲の「Summer」で、爽やかなメロディがホール状の空間に響いていた。
遠くにうっすらとエメラルドグリーンのラグーンが見える那覇空港で、10月中旬に聴くメロディは、夏を切り取って貼り付けたようだった。
夏真っ盛り、というよりは、夏休みが終わった頃、今年の夏を思い出すかのように聴きたくなる1曲は誰しもあるはず。
今回はこの「Summer」をテーマにnoteを1本書こうと思う。
発端は9月中旬
残暑続く関東にも、秋は確実に夏の背に隠れてそっとやって来る。
なんだか寂しいな、と思っていると、たまたまのご縁で沖縄で仕事する機会が舞い込んできた。
物理的に夏が伸びるぞと思い、動画サイトを見ていると、夏っぽい曲として冒頭の「Summer」がおすすめに上がってきた。
「お〜ジブリっぽい」なんて感想を持ちながらも耳に心地よく残るメロディで、何気なくお気に入りのリスト入れて聞いていた。
そうして降り立った沖縄、夏休みの延長みたいな空間でBGMとして「Summer」を聞く。
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沖縄の仕事は充実していて、家と職場の往復で1ミリも沖縄を感じないまま仕事が終わろうとする頃、知り合いとZOOMで話していた。
音楽の話になり「最近、久石譲の『Summer』をよく聞くんです、なんのジブリ映画の曲かわからないんですけど」なんて答えていると。
「あれ確か、ビートたけしの映画のテーマ曲ですよ」
意外な反応がかえってきた。
てっきりジブリ映画の夏の回想シーンで使われているのかと思いきや、北野武監督作品の曲らしい。
ギャング系のイメージが強い同監督の映画で、こんな爽やかで少し切ない曲、どんな風に使われているのだろうと興味をそそられた。
「Summer」ってそうか、ジブリじゃないのか、ばかやろ、このやろ、なんて思いながら検索すると「菊次郎の夏」という映画がヒットした。
アマプラにない
沖縄から帰ってきた私は、汗だくになりながら自転車で疾走していた。身体が勝手に動いていた。
秋とは時に残酷で、涼しくしますよと見せかけては夏の背に隠れて蒸し暑さを出してくる。
着る服と体調管理の駆け引きをそっと楽しむかのように、でもその後ろに冬を引き連れてやってくる。
この日は、夏を全面に出した暑い日だった。
じゃこじゃこ音を立てて湿った風を軽快に切る自転車、無常にも赤に切り替わる信号。
なんでこんなことしているのかというと、「菊次郎の夏」は、サブスクサービスで検索するも配信を探せなかったからだ。
配信サービスが主流になりつつある今、レンタルビデオ店(こういう書き方で合ってる?)から遠のいていた足が「菊次郎の夏」を求めていた。
2件はしごして、ようやく手に入れた「Summer」がテーマ曲の映画。
陽が落ちるのがだいぶ早くなった晩秋に再生する。
「菊次郎の夏」
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北野武監督作品・映画「菊次郎の夏」の内容を、ネタバレないように書くとこんな感じである。
祖母の元で暮らす小学3〜4年くらいの男の子が、ある時、母親と一緒に写っている写真を見つける。
ちょうど夏休みということもあり、一人で母を訪ねようとするが、心配に思った近所のおばさんが、家にずっといる旦那(ビートたけし)と一緒に行くよう促して、2人で男の子の母親を訪ねるというストーリー。
「お、ハートフルストーリーだ!」とほっこりした気分で、見始めるも母親に会いに行くまでが一筋縄にいかない。
ギャングもところどころ出演し、北野武らしさが出ていた。
一番驚いたのは、母親と再会するシーンからエンディングまで30分弱?もしかしたらそれ以上?あったことである。
てっきり、再会してジャーン(エンディング)と思っていたのに、回想シーンでもなんでもない「余韻」が長いのである。
最初はこの余韻、いる?と思っていたが、男の子の背景を思うと必要だったと気づかされた。
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せっかちな人が周りに多かった環境に長くいた自分にとって、衝撃が大きかった。
一つ終わったら、おしまい、はい次!みたいな物事をぶつぶつ切り替える感性。
映画は全体として、世の中うまくいくことばかりじゃないよね、を伝えてくれている。
でも、それが人間くさいし、美しさなんだ。
そう伝えつつも、心にぽっかりと空いた穴を埋めるのは時間(映画でいえば余韻)だったんだとはっとさせられた。
映画にもあって、見終わった後にもやってくる余韻。
人生においても余韻があって、それには必ず意味がある。
余韻の意味に気がつくのはずっと後かもしれないけど、「菊次郎の夏」は余韻は、人生において必要な時間なんだと教えてくれた作品だった。
ちなみに、音楽は終始「Summer」しか使われておらず、シンプルイズベストを体感した1作品でもある。