6.ホントは編集者になりたかったのに
大部分の人は学生生活を終えたら社会人になり働くことになると思います。
でも、就活をして思い描いていた進路に進める人ばかりではないでしょう。
私もそうでした。
目標とは異なる仕事をすることになったのですが、結局それで良かったのだと今では思っています。
長い目で見れば、ときには流されてみるのもアリだということです。
流れに乗ってみた就職先
子どものころから本を読むのが好きでした。
作文も上手だと褒められるし、高校生のころには将来は出版社に入って本を作る人になりたいと思っていました。
そのために女子は短大で充分だという親の意向に反し、4年制大学に進学。
高校のとき出版社への入社について調べたとき、4年制大学卒業がどうやら必須らしいと知ったからです。
文芸コースを専攻し大学時代はひたすら書きまくりました。
課題でものすごい量を書かされていたのです。
そして出版社でアルバイトもして校正や入稿なども実地で経験。
就職でも出版社に入って編集者になりたいとわりと具体的な希望を持っていましたが、ものすごい難関です。
なので、アルバイトでもいいからどこか出版関係の会社にもぐりこめればいいや、ぐらいに考えていた大学3年生の春。
アルバイトでたまーに行っていた広告代理店の人から、うちで働いてみないかとお誘いを受けたのです。
編集者になりたいという夢を伝え1度はお断りしたのですけど、最初から難関に挑むより、広告代理店でコネを作ってからのほうが入りやすいんじゃないかと言われ、その言葉に流され、就職活動をすることもなく決めてしまいました。
広告代理店の仕事
広告代理店の仕事というのは、ありとあらゆる範囲に渡っています。
特に私はずっと営業畑にいたので、広告制作や番組提供の企画書作成からイベントの企画・実施、クライアント接待まで、何でもです。
バブル期の代理店ってそんな感じだったので、精神崩壊、体調不良、中には自殺する人も……。
夜中のオフィスで誰かがなかなか戻ってこないと「おい、誰か屋上行って見てこい!」といった具合です。
女性も少なく、ものすごい男社会です。
でもだからこそクライアントから覚えてもらいやすいし、女性らしい細やかな配慮も喜ばれるし、私にとっては適職だったのだと社会人2年目にして悟りました。
ラジオやテレビ局へ出入りしたり、タレントやアーティストなど有名人と仕事をしたり、普通の20代では体験できない華やかな世界を見ることができました。
でももちろん仕事ですから、地道な企画や予算案の策定、上司やクリエイターなど周りとのネゴシエーション、歳を重ねていくと部下の管理など、会社員として当たり前の業務もあります。
それでも心身ともに健康で頑張れたのは性格的に合っていたからでしょう。
流されていて良かったのです。
ついにイタリアまで流された
1回目の転職は24歳、2回目は29歳、3回目は36歳。
転職先はいつも広告代理店で企画営業やアカウントエグゼクティブと呼ばれるポストです。
3回目の転職のときは広告の仕事に嫌気がさしていました。
汚い部分もたくさん見ていましたし何より激務に疲れ始めていましたし。
36歳という年齢的にも、もう少しプライベートを楽しめるような環境に身を置きたいと思い、転職エージェントには「広告代理店以外なら何でも」というオーダーを出していました。
すでにマンション購入後でホームパーティーにハマっていて、もともと食べることも料理も好きだったので、食品系の会社で広報の仕事でもしたいなと希望したのですけど、どこを受けても落ちまくり。
転職エージェントから、これまで広告しかやってないのだから35歳を過ぎて他の職種なんてムリ、転職したいならまた広告代理店だ、と諭されたときは悲しかったです。
でもほどなくして、とある広告代理店でスローフードをテーマに業務展開する人材を探しているのでエントリーするよう勧められました。
これまでのキャリアを生かしつつ、好きなテーマで仕事ができるなんて最高です。
数回の面接を経て、1つしかないポストに収まることができました。
入社後に上司から聞いたところ、80人に一人という難関を突破して採用されたのだそうです。
私より優秀な人もたくさんいたのに、決定打となったのは購入していたマンションがクライアント本社のすぐ近くだったことと、趣味がホームパーティーだったこと。
人生、何が転機に役立つか分かりません。
この会社に入らなければイタリアへ行くこともなかったのですから。