日々は過ぎ行く、人は忘れゆく
毎日コラム生活40日目。どうもThe.Itackworks棚林です。
コロナ真っ盛りの頃に始めたコラムですが、今では街に人が増え、ちらほら蝉が鳴く季節になってきた。
さて40日目という少し節目の投稿になるのですが、果たして誰が読んでくれているのかはたまた読んでくれていないのか、、、
僕らには知ることはできないのですが、ただゆっくりと過ぎていく日々の平凡を何も考えずに過ごすのでなく、その時の心境や考えていることを文章として書き残す事は、手間こそ掛かるが自分の心境を整理する感覚がして意外と良いなと最近になって改めて思う。
いつもなら心にとどめている言葉を文章として吐き出す。
思えばこれまでいろいろな人と関わって生きてきた筆者だが、心に浮かんだ思いをそのまま発したり、誰かに伝えたりするという事は少なかったように思う、どこか心・言葉にフィルターがかかってしまって、相手や世間に合わせた姿・言葉に形を変えて発するのが癖になっていたように思う。
だから自分一人の状態で自分の言葉で何かを発したりという事をする事に対して苦手意識を持つ人間が完成してしまったのだなあと。
しかし、そういう自分から気持ちや言葉を発信するのが苦手である一方で、自分が存在している,存在していた事の証明,生きていて物を考えて何かを作りだしている事を誰かに示したいという思いを感じることが最近より一層強く感じるようにもなった。
それこそが今自分が色々なことに挑戦してみたいという思いに繋がっているように思うね。もっと強くなって色々なことに挑戦したいと本当に思うよ。
昔仲良かった(と思っていた)友達にこんな感じの事を言われたことがある。
「何もしないという事は状態維持ではなくて衰退だ」と。
たとえどれだけ親しかったとしても、最後に会ったときにいい感じだったとしても、ずっと友達だと言ったとしても、所詮は人間忘れていく生き物だ。何もしなければ時間とともに人はいろいろなことを経験する代わりにどんどんと思い出を無くしていく。直接会う機会が少なくなったり、思いだす機会がなければ間違いなく記憶は薄くなっていく。その人への思い、興味も弱くなっていく。
今こういうnoteや曲を作ったりしてるのはもちろん僕らがしたいからというのもあるが、あのころ親しかったが今は疎遠になってしまった彼ら彼女らが見て「ああこいつ変なことやってんな」と思われたい自分達でいたいという願望も少なからずあるのである。
人は忘れていく。忘れられていく。それは当たり前のこと。
ただゆっくりと過ぎる日々の平凡だが、少しずつ記憶は濁り、消えていく。
そんな二度と同じものはない”今”だからこそ、密度濃く生きていろいろなことにとりくみ、一日一日をしっかりと噛みしめて生きていたいものである。
とっ散らかった文章でスミマセン
以上、棚林でした。
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