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品川 力 氏宛書簡 その四十六

 「海風」㐧五号早速お送り下さいま
してありがたく拝見しました。
 貴兄の「大鴉」御苦心の結果、前訳
より遥かにいゝと思ひます。陽子さんの「早春
菜の花をおくられて」他二篇の詩は、昔どほり
の、單純な表現美に、無限な情熱が沈潜して、
非常になつかしく、讀み返しました。工さんの絵は
力强い。近く是非お訪ねするつもりです。
 皆さんによろしく。    さよなら


[消印]13.11.14 (昭和13年)
[宛先]本郷区本郷六丁目 ニ 三
    品川 力 君


[差出人] 十一月十二日
      大森区馬込町東二丁目
        一ノ一五一
          菊池 与志夫


                       (日本近代文学館 蔵)





大 鴉  E・A・ポ オ

あるわびしき夜更に、われ疲れ心地に思ひをひそめ、
忘れられし奇しき數々の書物の中に
いつとしもなく、うとうとと眠りに誘はれしとき、
にはかに敲く、わがへやを、
――誰びとならむ――と、つぶやきぬ
わがへやの扉を打ち敲く者は
たゞ音のみ、かくてほかにこともなし

あはれ あきらかに思ひいづ
そは寒き師走の夜半なりき
消えかゝる燃えくずのゆか
不氣味な影たゞよへば
われひたすら朝をまちぬ――
いかにしてわが憂愁うきを追ひはらはめと
書物よみを求めて、いたづらに彷徨ひぬ
そは去りゆきし「レノア」のため
天使も呼ぶ名「レノア」なる
稀に見る光きらゝかなるわが乙女――
いまや永久とわにその名かへらじ

色紫きの窓掛の、絹の悲しく さゆらぐに――われ驚愕おどろきぬ
いまに憶えぬ この世のほかの
恐怖おそれぞ身に泌みわたるなり
胸のとゞろき鎭めむと、われ立ちてつぶやきぬ――
――何人なにびとか わがへやに訪れを求めてあるらし―――
―――この夜更け何人なにびとか わが部屋に入るを求めてあるらし―――
たゞそれのみ、かくてひかにこともなし
やゝあれば、氣强くなりぬ
われ最早ためらはず 呼びかける
―――きみよ さずずば夫人おくがたよ まことに許せ
いましわれ うつらうつらにありし折
いとも輕やかに敲く音
きみがこぶしのあまりにも かすかなるため
われ氣づかねば――――かく云ひて
ひろくへやを 開けぬれば
たゞ闇のみ、かくて影はなし

せまれる闇の底をうちのぞき
われ恐れおのゝんき 迷ひつゝ
しばしはそこに立ちつくす
いかなる人も夢みなむ、あやsき夢に耽りなば
靜けさを破る 氣配なく
靜寂しじまのうちに音もなし
かくて響きぬ げにかすかなる一言ひとこと
「レノア」―――
われ私語さゝやき呼びぬれば
闇にこだまし返る「レノア」―――
たゞそれのみ、かくて影はなし

      ・

へやに戻らば、わがたまは焰となりて燃えさかる
やがて再び聞えくる
さきよりたかく打ち敲く
―――げに何者か わが窓邊にあるらし
さらばそこに何かあるらむ
われ行きてそが秘密をば確かめむ
心よしばしの間しづまれよ 行われきて探索さぐり見む―――
たゞ風のみ、かくてほかにこともなし

われ窓を開けぬれば
羽摶はばたき烈しく、飛び入るは
古き昔の大鴉、聖らかな姿も いかめしく
そはきみ、淑女の身なりにて
會釋もなしにしばしへやをば飛び廻り
あたかもへやのパラスの像に落付けり
かくてほかこともなし

眞黑まくろき鳥のとゝのへる
そがいかめしき容貌かほかたり 見とれてあれば
いつしかにわが憂愁うき微笑ほゝえみにまぎれけり
―――鳥冠とさかは切りそがれるも
夜の岸邊より迷ひこし
魔神のごとくも恐ろしき
古鴉とは思はれず
暗き夜の岸邊にて名譽くらゐある名を語れかし
鴉答へぬ「またあらじ」


われおどろきぬ、不格好ぶざまな鳥のかく云ひしを―――
たとへ意味なき言葉なるも
またそは鳥にふさはしからずも
人間ひとにして誰かこのへやの胸像の
鳥を見ることのさちを思ふ者一人として
あるなし 鳥かけものかさて何者と
その名をとへば 鴉 答へて
「またあらじ」

鴉はやすらかに胸像の上に止まりて
かくさびしげな一言ひとことを吐きしのみ
その一言ひとことに心のすべてをこめしごと
かくて後、身ぢろきもせず
―――友みなわれより離れしごと明日あすともならば
この鳥もわれを捨て去り飛び行かむ―――と、遂にわれつぶやきたれば
鴉は叫びぬ
「またあらじ」

かくも烈しき應答いらへ
靜けさを打破られ
われいたく驚きて云ひぬ
―――この鳥は何處いづくにか不幸なる主人あるじもと
ありしとき得し唯一の句なるべし
そのひと無慈悲むご災難わざわひにしげく追ひ立てられ
挽歌にかすかな希望のぞみをつなぎ
この疊句たゝみく口吟くちづさみくり返し繰り返せし人ならむ
そは この―――「またあらじ」を

鴉はなほもわが憂愁うき微笑ほゝえみに誘ひける
われしとねの椅子をめぐらせて鳥と胸像を前に向き合ひて天鵞絨びろうどに身をうづ
ふかき空想おもひにふけりけり
―――痩せ衰へて物凄き  この不吉な古き凶鳥まがどり
何を意味していましかく啼きつるものぞ
「またあらじ」―――を

いかなる事かわれ解きたきものと思ひつゝ
されど一言すらも問へも得ず
かゝるとき鳥の眼光まなこは爛々とわが胸底に迫るなり
あれぞこれぞと想ひまどひつつ
われいつしかに天鵞絨びろうどの椅子の褥に頭をよせぬれば
燈火ともしびの光りぞ濃き紫の天鵞絨びろうどの褥の上に冴ゆるのみ
かのひとの凭るべきことはまたなけれ

折しも氣づかば、大氣はいよいよ 濃くなり
香りさやかにゆらぎつつ 見えぬ香爐より 匂ひなば
毛房ふさあるゆかに、天使の群のあし音しげく なり響く
―――あな あはれ とわれ叫びぬ
神は天使の群にせ 悲しきレノアのの追憶おもひより逃がれむための休らひと
憂愁うれひをさるの良き藥、いまぞ賜ひぬ
飮め 飮干さむ 心づくしのこの忘れ藥を
かくて亡きレノアをば忘れまし
鴉は言ひぬ「またあらじ」
「豫言者」よさらずば「わる者」よ
鳥か魔神か 何物ぞ
夜風に打ち上げられし者なるか
荒れ果てしこのさとに―――
恐怖おそれかれしこの棲家いへ―――
氣强き鳥よ われに語れよ 告げよ われ切に願ふ
まことなりや かのギリアドに乳香のあるべきや
語れよ 告げよ われ願ふ 鴉は言ひぬ
「またあらじ」

「豫言者」よさては「不吉なる者」よ
われらをになふ天により われらが崇ふ神により
悲み重きわが胸に―――まことを告げよ
かの遥けきエデンの闇に
天使の呼ぶ「レノア」
光きららかなる乙女の在るべきや「レノア」なる
鴉は言ひぬ
「またあらじ」

鳥か魔神か いましその一言ぞ訣別わかれ|徴しるしなり
われ立ち上り 叫びたり
―――歸れ 暴風雨あらしのたゞなかの 夜の魔の谷底に
汝が心の僞りを表示しるしせる
そが黑翼くろばね一つ殘さずに
孤獨のわれをこのまゝに
扉の上の胸像を早く立ち退けよ
わが胸の中なる汝が嘴も抜き取りて
姿を消せよ 扉の外に
鴉は言ひぬ
「またあらじ」

鴉はなほも動かずに
色蒼ざめし扉の上のパラスの像に立ち盡くす
魔神の夢みに似たるかなかなその眼の銳き輝きぞ
燈火かすかにゆらぎつつ の濃き影を床に投ぐ
あゝかくてわが魂は床にたゞよふこの影を
のがれむことぞ またあらじ





早春菜の花をおくられて

            品 川  陽 子

春には早い
菜の花に
忘れかけてゐた風景が
いちどにあたゝめられる
このまひる

いつかたのしかった
日曜日をたづねて

白い蝶が私とおなじ
日向のなかに夢みるのは
あなたでせうか





詩に寄せて

あでやかに
あやしききぬをめづるごと
手には取られて
これはこれ縦横たてよこの悲しき
糸に織られたる
こゝろ々なる思ひ出も
ひとに知られずわがうた



矜持

にほやかに
高く
おもひ常に靑かれ

ひとりうれには
殘る

「海風」五號(第四年 第二號) 昭和十三年十一月十五日發行より






                        柏崎市立博物館所蔵

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