今日の1200字小説「おそくなったお昼」
このお話の前章は下記リンクをご参照ください。
柄にもなく少しイライラしている。理由はわかっている。お腹が空いているんだ。営業が朝から二件続いて、訪問先も離れていた。電車移動が長かったのもあって、昼食の時間を逃してしまった。
遅れてはまずいから三件目の駅までは着いておきたい。まずは電車に乗ることにした。
外出は社内にいるより気楽でいいが、食事のタイミングを逃すとモヤモヤする。電車内で飲食できないルールって変えられないのか。かといってOKと言われてもあまり食事をしたい環境ではないか。人目がある中で自分だけ食べているのも目立ってしまう。
駅に着くともう14時を回っており、定食屋のランチは軒並み終わっていた。まいったな。お昼を決めるのも得意じゃないし、あれこれ散策する余裕もない。目に付いたお店に入るしかないか。
キョロキョロしていると、一歩路地に入った所で白壁とレンガをまとったいかにも昭和な喫茶店が現れた。わかっている。創業はたぶん平成だ。平成を生きた人間は平成が30年あったことを知っている。
一も二もなく直感でここと決める。扉を開けるとカランカランとイメージ通りのベルがなる。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
ひげ面のマスターは恰幅がいい。他のお客さんはいないようだ。店内は木製の調度品で統一されていて、暖かみのある灯りが広がっていた。メニューを見るとコーヒー500円。んー、これでも安い方かぁ。食べるものはスイーツぐらいかな。
お冷を持ったマスターがやってきたので慌ててしかめた眉を戻す。
「軽食もありますよ。セットならお安くなります」
「え?セット?」
マスターがメニューを手にページをめくると、サンドイッチやナポリタンといった喫茶店ランチがこちらに手を振っている。しかもコーヒーとセットで1000円とは!
「お昼逃しちゃったんでしょう?お食事すぐ出せますよ」
完全に言い当てられてきょとんとしているとマスターはさらに続けた。
「この時間にこの店に入るのは営業の昼食難民。この立地で20年以上やってれば一目でわかります。お客さんスーツ着てるしね」
なるほど。職業病みたいなヤツだ。私はサンドイッチとミルクコーヒーを頼んだ。
食事は2分と待たずに出てきた。
「ごゆっくり」
マスターの好意があたたかい。サンドイッチは玉子とベーコンとレタスが挟んであり、私の胃袋を満たすには十分だった。ミルクコーヒーも芳醇で優しい。束の間の休息には最高の空間だった。
時計を見ると次の約束まで時間がない。慌てて準備をしてマスターに会計をお願いする。
「はい、ありがとね。気をつけていってらっしゃい」
「はい、あの、また来ます!」
気づいたら口を衝いて出ていた。また来ます。
うん、この駅に着いたら、また来よう。
束の間の休息を求めて。
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