今日の900字小説「逃避行」
私から言い出した朝の散歩だったけど、二人してずいぶん長いこと歩いていた。なんの予定もない休日に、何も決めずに外出する、自由でしょ。
「ノープランの逃避行…かな」
少し早めのお昼は駅の近くのパスタ屋さんに入った。座って話し始めたら、ナオが言ってきた。
「逃避行って何から逃げてるの?悪いことしてないよ」
私は反論する。
「休日だし、逃げると言ったら現実逃避でしょ」
別に逃げたい現実なんてないけどな。仕事だって楽しいし、お休みの時間もナオと一緒ならなんでもできるって思う。
「ナオは、仕事とかから逃げたいって思う?」
“とか”のニュアンスに保険を張ってしまった。
「んー、お客さんと上手くいかなかったりするとね。営業やってると、人を見て言葉遣いが変わる人とか、よく出会うし」
「あー、それわかるかも。あたしは見た目 振り切ってるから、どう見られてもしょうがないっていうか、この見た目が強みにもなるデザインの仕事やれてるけど、普通にこのカッコしてたら接客業ムリって思うもん」
誰に言われても自分のスタイルは変えたくない。そこが理解されない職場は確かにつらいかな。
「うん、カナデほど極端ではないけど、身長とか、性別とか、髪の色とか、そういうのでナメてくる大人はいるんだよね」
「そんなの自分じゃどうしようもないじゃん」
「そう、でもね、そういう偏見って必ず自分の中にもあるの」
そんなことない、って思いたい。
「例えば、街ですれ違った人に『あっ、この人キレイ』とか『いい男だなぁ』とか思うのも、ベクトルは違うけど偏見なんだよ」
うー、そう言われると…。
「でもそういう美意識ってカナデのデザインの中には必ず表れてくるわけじゃない。偏見も人生で獲得してきた個性なの。だから、それは必要なんだよ。ただそれを他人にぶつけてくるヤツはクソだけどね」
そう、なの、か。でもそれじゃ、
「でもそれじゃ、ナオはそのつらさから解放されないじゃん」
そう言ったタイミングで二人が頼んだパスタが運ばれてきた。
「そ。だからそういうときは…」
ナオはジェノベーゼをフォークに絡める。
「おいしいパスタを食べるのです」
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