「ウィステリアと三人の女たち」(川上 未映子著)
前の記事でも書いたのですが、ここのところプログラミングの勉強に取り組んでいるのと、Duolingo(英語)も始めたりして、読書の時間があまり取れていませんでした。でも連休のあいだに時間ができて一冊読めたので、一ヶ月ぶりに読書感想文を投稿してみようと思います。
これで川上未映子さんの本を読むのは4冊目になりますが、これまで読んできた本と同様、登場人物のほとんどが女性です。この短編集ではその傾向が特に顕著な気がしていて、主人公と直接言葉を交わす男性は、最後の短編「ウィステリアと三人の女たち」に出てくる「夫」くらいしかいなかったと思います。この夫も、結局「わたし」が打破していくベールのような存在でしかないですし。
一方で女性に対する描写はというと、これは思わず引き込まれてしまうような生々しさがあります。川上未映子さんがすごいのは、同性だからといって「まあそういうもんだよね」とごまかさないところな気がしています。むしろ同性だからこそ知り得る、ふつうに見ていたら気づかないくらいの欺瞞や妥協みたいなものを、それ以外ないような言葉で的確に描写していくのは本当にすごい。
でもこういうのって私は男性だからフラットに、というかたぶん究極的には他人事として理解することができるんですけど、ある程度引き返せないところまで人生が進んでしまった女性が読んだらって考えると、色々な感情に支配されてうまく読めない人もいるんじゃないかと、余計なお節介ですが考えてしまうこともあります。これだけすごい才能があるのにまあまあアンチも生み出してしまうのは、普段は見えなくなっているものに形を与えていくタイプの文筆家には避けられないことなのかもしれません。
私はこの本の4編のなかでは「シャンデリア」が一番好きでした。関係ない話ですけど私は普段から「落ちてきそうなもの」を割と気にするタイプで、タワマンの傍を歩く時とかもつい上を確認しちゃうんですよね。植木鉢とか人が落ちてきたりしないかなとか。笑 だからデパートでみる大きなシャンデリアが、いつか落ちてくるだろうという考えは、私にとっては自然なものに思えるんです。この作品を読むあいだずっと通奏低音のように流れる緊張感は、宙に浮いている重そうなシャンデリアを見るときの不安感とつながっているように思えます。
お金は色々なものを買えるからこそ、人にとって大切なものを見えにくくしている、というのは使い古された言説ですが、普段見慣れたデパートをつぶさに描写していく中でそれが具体的な形を取ってくる、というのがこの作品のすごさだと思いました。終盤に出てくるタクシー運転手の女性は、この作品のみならず短編集全体にとっての啓示のような存在な気がしていて、(女性に限らず)人がしっかり生きていくには根本的に何が必要なのかを教えられたような思いになりました。
今年のゴールデンウィークは人混みに出掛ける気がしなかったこともあり、冒頭でお話しした勉強やジムでの運動以外、特に何もしないで過ごしました。ただ最終日にこの記事を書いたことで、だらだら過ごしたこの連休も無駄じゃなかったような気がします。笑 これからも素晴らしい本に出会えるのを楽しみに、マイペースで読書を続けていきたいと思います。
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