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エッセイ | コップの話

私はえせミニマリスト兼ミディアリストのため持ち物が少なめだ。そのため食器もあまり持っていない。人が来た時に何かを食べるとなると、食器が無さすぎて困ることがよくある。
ただ、食器を持っていない中で唯一コップだけはたくさん持っている。

・さまざまな種類のコップ

私が持っているコップは7個ある。正直、一人暮らしなのに7個は持ちすぎだと思っている。ただ、なかなか捨てられないのだ。友人の結婚式の引き出物や、友人から誕生日プレゼントは捨てられない。それ以外の自分で買ったものも捨てられない。

1つ目はホットコーヒーを飲むためのマグカップ。コーヒーを飲む時はそれ専用のマグカップで飲むようにしている。お茶やジュースを飲むような「雑に扱えるコップ」でコーヒーを飲んでしまうと、コップに染みついた匂いがコーヒーの風味を邪魔してしまうためそれを避けている。そこまで気にするほど違いがわかるわけでは無いのだが、そのようにしている。

2つ目は大きいグラスだ。これは氷を入れて飲む際に使用している。お酒であったり、アイスコーヒーであったり。氷が徐々に溶けながらグラスが汗をかいていく姿が好きなのだ。

3つ目と4つ目は同じものでエスプレッソカップになる。これはたまに使用するくらいだ。私が好きな時計ブランドのノベルティグッズなのだが、デザインが可愛くて気に入っている。

そして5つ目は「雑に扱えるコップ」である。これは一番安く、税込105円だ。105円だからこそかなり雑に扱ってきた。むしゃくしゃしている時は羽毛布団に投げたりもしていた。今思うと何をやっているんだと恥ずかしくなるが、まだ学生の頃で何の結果も出せない自分に腹立っていたのだろうな。

・雑に扱うコップはいつまでそばにあるのだろう

雑に扱えるコップとの思い出はかなりある。もう10年以上も使っているのだ。嬉しい時も悲しい時も、病める時も健やかなる時もいつも一緒にいたのがこのコップだ。別に好きでも無いのにディズニーのスティッチが描かれているコップ。10年以上使っていてもスティッチに関心が湧くことはなかった。これから先も関心は湧かないだろうな。

10年以上も近くにあると、少なからずこのコップ自体に愛着が湧いてくる。このコップを見ていると今までの思い出に触れることができる。学生時代のことや、社会人になってからのこと。ぼーっと見ているだけで湧き上がってくるのだ。けれど、このコップを捨てられるかと尋ねられれば『捨てられる』と答えるだろう。

このコップ自体に愛着はあるのだけれど捨てられないほどでは無いのだ。意外とそんなものかと思ってしまうのだが、そんなものだ。

ただ、一番嫌なのは自分が使用している時に割れてしまうことだ。多分すごい喪失感に襲われるだろう。洗っている時に取っ手がポロリと外れでもしたら途轍もなく悲しくなるだろう。今想像しているだけでも悲しい。

・いつかは自分で

もう古いコップのためそのうち使えなくなるだろう。突然その日が来るのは悲しいから、近いうちに捨てなくては。自分で捨てればそこまで悲しくもないのではないかと思っている。非常に悩ましいけれど。

結局のところ「雑に扱えるコップ」が1番捨てられないかもしれない。『捨てられるよ』とは答えられるけれど、多分どこかにしまっておいて「2軍のコップ」とか役職をつけて取っておくんだろうな。
家にあるコップを見ていると、優柔不断な自分で満たされていることがよく分かる。

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