エッセイ | ランニングはドMの所業
タイトルに語弊があることをお詫びします。
最近ランニングを始めた。正確には再開したという方が正しいのだけれど、再開するまでに3年の期間が空いているため、どちらかといえば始めたに近い。ランニングウェアやシューズ、その他のグッズは以前揃えていたので、始めるのは比較的簡単だった。
以前は整備されたランニングコース近くに住んでいたため頻繁に走っていたのだが、引っ越してからはランニングコースが見出せず、次第にやらなくなってしまった。
・ランニングは自分との戦い
久しぶりに走ってみて思ったことは『辛い!やめたい!帰りたい!』だった。ただ、ここで引き返したらマジで恥ずかしい。「あの人もうやめちゃうの?全然汗かいてないじゃん。根性ないんだな」なんて思われてしまったら、他人からどう見られているかを気にしすぎるタイプである自分にとっては止められない。
じゃあ走るしかない。とりあえず自分のペースで走り続ける。呼吸が辛くならないようにペースを維持し、信号や他の歩行者に注意して走る。ランニング中はイヤホンで外部音を取り入れつつ音楽を聴いているため、その音楽のテンポが変わると呼吸のリズムが乱れる。それに引っ張られないように注意もしつつ走る。
注意すること多過ぎないか?
外部からの影響を受けて自分の調子が狂わされすぎる。その上、信号ではなるべく立ち止まりたくないため、赤に変わりそうであれば手前から走る速度を落としながら信号に近づくようにしている。これがまた辛すぎる。すごく疲れるのだ。結局立ち止まることになった時は絶望しかない。
・だんだん気持ち良くなってくる
それであればランニングなんて止めればいいじゃないかと思う人も多いと思う。驚くことに止められなくなってくるのだ。
走り続けていると徐々に呼吸が落ち着いてきてペースも乱れなくなってくる。そうなると走るのが楽になってきて、いつまでも走っていられるように感じる。これがランナーズハイなのかと思いながら走り続けるのだ。サウナでいう『整う』に近いかもしれない。
これを味わってしまうと走り終わった時に『また走ろう』と思ってしまう。
こうしてランニング沼にハマってしまうのだ。
・絶望が待っている
私はその日の走る距離を決めて走っているため、目標の距離を走り終えるようにコースを考えて走っている。
気分的に整った状態で帰路につき、玄関で靴を脱ごうと座った時に気づく。
脚が思ったように動かない。
脚ってこんなに思ったように動かないものだっけ、と思いつつ靴を脱ぎ、立ち上がると脚へ蓄積された疲労に気付く。全然動けない。気持ち良くなって走っている場合じゃなかった。こんなに辛いなら走らなければよかった。
そんな後悔をしつつも次の日になると走りたくなっている。
人間は愚かだなと思いつつも、今日は休息日のためランニングはしない。
また明日走ろう、なんたってドMだからね。
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