「愚妻ですが…」はなぜ使われる?なぜ日本人はお金の話を嫌うのか?現代社会に根付く武士道の歴史的価値観
タイトルに日本人によく聞かれるタイトルを並べてみました。「ここがヘンだよ日本人」でよくつつかれてしまう言葉たち。
どれも、日本人独特な考え方で、最近は大分無くなって来ましたと感じます。しかし、それでもまだまだあると思ってる。
例えば50歳近い私などは、
なんて状態である。
自分が思うからと言って、他人は違うと思う。けれど、少なからず同じような人はいるのではないか。と思ってしまう。
ひょんなことから、その理由がわかってしまった。
その理由はすべて「武士道」から来ているようだ。
もっとも武士道は武家が重んずる考え方。ゆくゆくは武士以外にも伝わり日本人の「やまと魂」のもとになっている。
それでは、解説に進む
サービス残業|家族より主君に忠義を誓う
武士道では、家族より主君に忠誠を誓うように教えられている。
戦国時代でも江戸時代でも、主君に使えるのが主によく見るシーンである。
なので、企業のサービス残業は雇用主や上司が主君に値し忠義を尽くす現れだと感じる。
もっと極端に振られたのは、特攻隊である。まさに日本のために戦った。今では受け入れがたき過去ではあるが、忠義を尽くす武士道からくるとすると説明がついてしまう。
お金の話を嫌う|金感情は身分が低いもののすることであった
当時は、忠義や礼節が重んじられ、お金のことはもっと下に見られていた。
「金勘定は下々のものに任せればよい」という風潮であり、
お金のことを話す➡身分が低いこととされた。
江戸時代の身分制度で「士農工商」が有名である。
金勘定はどこに部類されるでしょうか。そう、一番身分の低い商なのである。
とはいえお金がないと生活できないのは、江戸時代でもいっしょ。
商売人は、地位は低くとも、お金を持っているので隠れて贅沢な暮らしができたのである。
愚妻ですが・・・|人前では自制心を持つ
忠義を誓うことにも関係するが、最優先は主君のためである。
なので妻のこと家族のことは、その次に置かれる。
また、忠義を尽くすうえで、家族のことを表に出すとそちらの方が大事と思われてしまうので、へりくだることで主君が一番と見せた。
だから、最愛の妻を紹介するときでも、過剰な謙譲表現で「愚妻ですが・・・」と言ったりしてた。
「うちの嫁」「奥さん」の表現も愚妻とは言わないまでも、謙譲表現であり、一歩後ろに引かせた表現である。対等で紹介するなら「妻」「パートナー」というべきであろう
ただ、悪いことばかりではない。
果たしてどちらが良いでしょうか。
これが事実であれば、日本人の方が良いのではないでしょうか。
武士道の影響力は大きい|終わったのは結構最近の1800年代だから
考え方がグローバル化して武士道の考え方が薄まったとは言え、まだまだ影響力があるのが実情です。
武士道が終わったのは、武家政治が終わったころつまり江戸時代が終わった1800年代である。それまではバリバリの武士道が貫かれており、その文化は数世紀の間、絶えることはない。
日本と同じような考え方で、ヨーロッパには騎士道がある。特にドイツは騎士道の国。日本と一時期とても仲が良かったのは、武士道と騎士道の共通点があったからこそではないか。
騎士道は中世ヨーロッパの考えだ。1600年代まで続いた。
この点でも、武士道の方がまだ色濃く影響があることがわかるだろう。
時を経れば、日本に浸透した武士道の考え方は、変わっていくことになるであろうが、まだまだ影響力は続きそうだ。
そして、武士道の考え方は、昔から脈々と受け継がれてきた考え方。無理に否定せず堂々としていても良いと感じた。
本記事にヒントを与えてくれたのは、新渡戸稲造 著
「武士道」である