本業はサマルトリアの王子かもしれない【前編】|24時間働いていた時代|ブラック企業の経験が人生の財産に!
※アイキャッチは、ドラクエ2-サマルトリアの王子より引用させていただきました。
私の仕事タグで、ご案内がきてたので、自分の本業について語りたいと思います。自分語りになるのであまり面白くないかもしれませんが、もしよければお付き合いくださいませ。
私の仕事はITに関係するサラリーマンです
とある会社のIT部門に所属している会社員です。よく言う社内SEと言われるポジションです。(よくは言わないかな?)
もしくは情シスといわれるところです。この説明が苦手なので引用を使わせていただきます。
今でこそITは欠かせないファクターになってますが、今の会社に入った当時はそんなに重要な部門ではなく、コストセンター(費用はかかるが、何も生み出さない部署)と考えられていました。外注に任せればいい、という雰囲気があり、人数も最大20人くらいいたのが4分の1にまで減らされるという不遇の立ち位置、不遇といえばDQ2のサマルトリアの王子。これが命名の由来です。
今は情シスですが、その前は、システム開発を専門に行う会社に勤めてました。そのころの話をしましょうか。
最初の3年は下請けシステムベンダー。そして転職で情シスへ
最初に入ったのは、ソフトハウスです。ソフトハウスとは、ソフトウェアを開発・販売する企業のことで、顧客からの依頼でソフトウェアの受託開発したり、保守をおこなっていました。(死語になってたらごめんなさい)
しかし、これが辛い。学生のころからパソコンが好きな自分でしたが、いきなり受託開発などできようもありません。先輩に教えられながらやりました。
今でいうブラックな感じで、朝8時半始業で夜8時に終わると「今日は早いねぇ」と言われたものです。(嫌味が込められていたかもしれません。)
通常は、夜の10時~12時くらいでした。(やばめです)と言うことはですよ、平日だけで平均5時間×20日=100時間残業達成です。土日も詰まっているときはありましたから、余裕で100時間は超えていたことになります。
そして、残業代は、5時間くらいはついていたけどあとはサービス残業です!なんか、ありませんでしたか?過労死ラインがどうのって。たしか80時間です。当時は、ありませんし、案外と普通なのでした。はい。
普通でしたが、やはりブラックはブラック。当時も定時で働けるところはありましたので、若手はどんどんやめていきました。
これは、やばいと感じたのか上司や中堅社員の先輩方。業務を見直してしてもっと早く帰れる体制を構築・・・・とはならず、若手たちのストレスを晴らすために飲みに連れてこうということになりました。
先ほど、会社終わりは夜10時~12時とお伝えしましたが、そこから2時間ほど毎夜毎夜飲むことになりました。つまり深夜2時頃勤務が終わるわけです。なんということでしょう!!!。
当時は飲みに行くのがストレス発散と考えられていた時代。当時の若手でも、上司や先輩はちょっと違います。それはストレスを貯める場だったのです。だいたいは若手より先輩たちの方が人数構成。先輩たちに囲まれて「辛いことは言っていいよ」と優しく問われてました。
原因のあなたたちがずらりと並んでいる中で、言いたいこと言えるわけないでしょう。「ここ辞めても、次なかなか見つからないからもう少しサポートするから」なんていうことを言われていた気がします。(サポートではなく脅迫ですねぇ)
しかし、諸先輩方のお財布の努力空しく、結局は他の若手に混ざり僕も止めていきました。
当時の上司に誰もいないところで告げたのです。(上司の顔が引きつってのが今でも思い出されます)そうして辞めることができました。そして約1年後のプー太郎の末、今の会社に転職するのでした。
ブラック企業であったからこそ鍛えられた現実
今までの話をお聞きしたみなさんなら、どう思われるでしょうか。
・なんで3年もいたの?自分ならさっさと逃げるよ。
・なんでそんなとこに入ったの?口コミ調べなかったの?
・もっと改革するように言うべきだ。いっそのこと晒しちゃいなよ。
なんて声も聞こえてきそうです。今ならそうかもしれません。しかし、当時は今のようにネットの普及は発展途上で、転職先を調べるとしたらハローワークか、コンビニに置いてある転職雑誌くらいなものでした。
当時の職安は、行ってはいけない場所のような雰囲気すらがありました。
結局、自分の口で上司に言いました(偉い自分、偉いよくやった!笑)
そうして当時は3年間無駄に過ごしたと思ってたわけですが、今思えば宝の3年間であったと思ってます。(あれだけ酷評してたのに笑)
辞めると伝えた3年目。ふっきれたのか、経験値がブレークスルーを起こしたのかわかりませんが、全然わからない状態から少しわかる状態に持ち上げられました。
チンプンカンプンだった、プログラムのコードを見ると、「あっ、ここ怪しい」と瞬時にわかるようになってきました。少し仕事が面白くなりかけたかもしれません。続けることの大事さを無意識の中に身に着けたのかもしれません。
しかし、この長時間労働には耐えられず、将来が見えなかったので辞めることにしました。
少し情けない話なのですが、最初の一言は、上司に伝えれましたが、それでも長時間残業は続いていたので、半ば昼夜逆転現象が起き、会社にいくのがどうでもよくなりました。
親まで登場してしまい、大人たちの力も借りて退職したのでした。
辞められた時の解放感は格別なものでした。
今では当時では考えられなかった退職代行サービスがありますが、そのころあれば間違いなく使っていたことでしょう。笑
さて、今日はこれくらいにして、後編(中編?これで終わり???かわらかないけど)に続けたいと思います。
追記:後編を書きました!
後編を書いたので、良ければご覧くださいませ。
#3行日記 : 懐かしCM
ウン十年前には、働き方改革などありませんし、SDGSのような持続可能性という言葉などありません。とにかくがむしゃらにイケー!!でした。こんな歌が流行っていたことを思い出しました。
牛若丸三郎太こと時任三郎さんが歌う、24時間働くをキャッチフレーズにした歌です。今では歌詞自体が大変恐ろしく、たぶん放送したら一瞬で消える内容かもですが、当時はテレビCMとして大変人気をはくしていました。
ただ、24時間は無理ということは先刻ご承知のようで、10年前には24時間のキャッチフレーズを残しながら3~4時間に時間短縮されておりました。笑
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。