【書評】カフカ『変身』

 本作は、プラハ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領)の富裕なユダヤ人家庭に生まれた小説家フランツ・カフカ(1883-1924)の最も知られた小説作品である。カフカは、大学で法学を学び、裁判所での実習の後、体調不良ゆえに退職となるまで労働者傷害保険協会に勤め、その傍ら、その多くが未完となる小説を書き続けている。そのなかの一つが『変身』であるが、生前のカフカは無名の小説家であった。注目を浴びるのは没後のことである。カフカの友人でもあったマックス・ブロートが、遺稿としてあった長編小説『審判』、『城』、『アメリカ』を刊行したことを契機に、カフカに注目が集まり、とりわけサルトルやカミュ等に影響を与えることとなった。その他様々な文学者に影響を及ぼしたが、サルトルやカミュによる評価により、カフカの国際的な名声は決定的なものとなり、それゆえカフカは実存主義文学の先駆者として広汎に認知されるに至った。『変身』は、カフカが生前に発表した中編小説であるが、これからその内容を見ていく。
 本作は三つの章で構成されている。物語はグレーゴル・ザムザが自室のベッドで気がかりな夢から目を覚まし、起き上がるところから始まる。そこでグレーゴルは、自分が巨大な虫に変わっていることに気づく。鎧のように堅い背中、横に幾本かの筋がつきアーチのように膨らんだ褐色の腹、胴体の大きさに比べてか細いたくさんの足、これが今のグレーゴルの姿である。グレーゴルの職業は外交販売員であるが、グレーゴルはこの仕事に不満がある。外交販売員につきものの苦労が格別で、出張旅行があり、その際のお粗末な食事や列車連絡の心配、また人付き合いに関しても、相手が年中変わり、親しくなることは絶対にない。そして、グレーゴルは仕事のために朝が早い。五時に発車する汽車に乗らなければならず、どうやらそれはグレーゴルのみに限られているようである。他の販売員は、グレーゴルが作業にあたふたしている頃に朝食を取るようで、グレーゴルが他の販売員と同じことをすれば、社長は自分を首にするとグレーゴルは考えている。不満が多いものの、グレーゴルは仕事を辞める訳にはいかない。なぜなら、両親に商売の失敗による多額の借金があり、それを返済しなければならないからである。
 目覚し時計を見ると、針が六時半を指していることにグレーゴルは気づき、五時発車の汽車に乗るグレーゴルにしてみれば、大寝坊である。次の汽車は七時発だが、間に合ったとしても、社長の雷は避けられない。病気を称したとしても、五年間の販売員生活でグレーゴルは病気をしたことがなく、疑われるだけである。様々なことを考え、寝床を離れる決心がつかないうちに、母親が部屋のドアをノックする。なかなか起きて来ないので様子を確かめに来たのである。グレーゴルは、母親の呼び掛けに返事する自分の声に驚く。「ぴいぴい」といった苦しそうな声が混ざっていたからである。だが、母親はグレーゴルの返事に安心し、そのまま立ち去った。次に父親と妹が声を掛けに来たが、グレーゴルは「もう支度しました」と返事をするに留める。
 布団をはねのけることは難なくやれたが、身体が虫に変わったことによってその後が厄介であった。今までのように動けないのである。ベッドから降りるのに苦労するなか、玄関のベルが鳴る。訪問者は店の支配人であった。グレーゴルがなかなか姿を見せないために様子を見に来たのである。部屋のドア一つ隔てて支配人は、グレーゴルの怠慢を非難するが、グレーゴルは、自分の姿を見せて、支配人と話をしようと思いつく。理由は次の通りである。

 いまこれほど自分に会いたがっている連中が自分の変りはてた姿を目のあたりに見たらなんというだろうかと彼はわくわくした。もし彼らがびっくり仰天したら、おれにはもう責任はないから、悠然としていればいいし、彼らが平気の平左だったら、おれもまた興奮するいわれはないわけで、急いで駅へ駆けつけて八時の汽車に間に合うようにすればいいだけの話だ。

 グレーゴルは苦心の末、ドアまで辿り着き、鍵を回し始める。この作業もグレーゴルの今の身体にあっては骨折るものであったが、やがて錠が開く。ドアを慎重に開けると、ドアに最も近くに立つ支配人の姿がまず見える。支配人はぽかんと口を開け、ゆっくりと後ずさりする。父親も、母親も動揺を隠せない。冷静を保っているのはグレーゴルのみであり、グレーゴルは支配人に長々と語りかけるが、それは非難の言葉ではなく、仕事への意欲と言われのない偏見からのフォローの要求である。だが、支配人は震え上がり家を後にする。これに困るのはグレーゴルのほうである。一家の生活に関わることだからである。けれども、グレーゴルの願いは叶わず、家族はパニックに陥るのみであった。母親は大声を上げて助けを呼び、父親は新聞紙と支配人が置き忘れたステッキを用いて、グレーゴルを元の部屋に追いやろうとする。グレーゴルは、血まみれになりながらも部屋に飛び込んだ。
 日が暮れる頃に、グレーゴルは眠りから目を覚ます。早朝の騒動のせいで、グレーゴルは胴体の左側に傷を負い、足を一本負傷していたが、ドアがあるところまで行った。食べ物の匂いがしたからである。そこには、細かくちぎった白パンが浮いている甘い牛乳を入れた鉢が置いてある。朝よりも腹の空き具合が酷く、グレーゴルは、すぐさま鉢のなかに首を突っ込んだが、失望に変わる。胴体の左側を痛めたことによって食べるのが不自由になった上に、大好物だったはずの牛乳が今ではおいしくなかったのである。グレーゴルの世話をすることになったのは妹のグレーテで、彼女は牛乳の入った鉢を部屋の外に持ち出すと、代わりにグレーゴルの嗜好を試験する様々なものを掻き集めてきた。それらは古新聞紙の上に並べられた。半分腐った古野菜、白ソースのついた夕食の残りの骨、乾し葡萄に巴旦杏、何もつけてないパン、バターを塗ったパン、バターを塗り塩をつけたパン、等々。新鮮な食品のほうはおいしくなかったものの、グレーゴルはすべてを平らげた。味覚までもが、虫のものとなっていた。
 グレーゴルが虫になってから、父親は母親と妹に全財産の状態と将来の見通しを説明したようである。商売に失敗したにもかかわらず、昔の財産がほんの少しまだ残っており、毎月グレーゴルが家へ入れてきたお金はすべて消費されていた訳ではなく、こまめに貯蓄されていた。これらは、グレーゴルが虫になって初めて知ったことである。とはいえ、それは一年か二年ぐらい食いつなげられる程度の金額に過ぎず、生活費は別に稼がなければならなかった。家族の状態はどうか? グレーゴルはこれまで言及した通りで、父親は商売の失敗以来五年間何もせず働く自信を失い、すっかり太り体の自由が利かなくなっている。母親は喘息を患っており、二日に一度は呼吸困難のために窓を開けて寝椅子の上で過ごさなければならない。妹はまだ十七歳の小娘に過ぎない。
 虫に変身してから一か月以上が経過し、グレーゴルは四方の壁や天井を這い回る習慣をつけていた。それというのも、窓のところにいれば、外にいる知らない人に見られる可能性があるからである。見られないために床の上を這ったところで、たかだか二メートル四方の広さに過ぎず、じっと静かに腹這いになるのは夜中だけで充分、ものを食べることも、この頃になると楽しくなくなっていた。それゆえ、壁や天井を這い回ることが気晴らしとなった。妹のグレーテは、グレーゴルのこの気晴らしに気がつき、グレーゴルが広く這い回れるようにと思い、妨げとなる家具や書き物机を取りのけてやろうという気を起こす。とはいえ、それは一人でやれる作業ではなく、母親も手伝うことになった。母親がグレーゴルの姿を見て驚かないように、グレーゴルが麻布を自分の身体にかけた上で、作業は始まった。まずは、用箪笥が部屋から運び出される。その次には、書き物机が。そんな作業のなか、母親から異論が出る。グレーゴルが元の姿に戻った時のことを考えたら、部屋の模様は昔と変わらないままのほうがいいのではないか、と。母親のこの異論を聞き、グレーゴルは自分の部屋の家具が運び去られてはならないと考えるようになる。だが、グレーテの意見は変わらない。そこでグレーゴルは抵抗を試みる。壁面に毛皮ずくめの婦人の絵が一つ残っており、グレーゴルはそれに這い上がる。グレーテと母親が部屋に戻り、母親はそこでグレーゴルの姿を見て気絶してしまう。
 少し時間が経過し、父親が帰宅する。父親は新たな仕事先を見つけたようであるが、帰宅するなり、グレーテの様子を見て自分が不在の間に何かが起こったと察した。そしてグレーテの報告を聞き、グレーゴルが何か手荒なことをしたかのように解釈したようで、グレーゴルとしては、父親の気を鎮めるべく事情を説明しなければならない。だが、それは不可能で、グレーゴルは自分の部屋のドアの下に逃げて、ドアに身をすり寄せることによって、自分の意図を父親に察して貰おうとした。しかし、眼前の父親はその微妙な空気を察し取る気分ではなく、また、職を得たためかまるで別人のようでもあった。グレーゴルは逃げ回ることしかできない。やがて、たくさんの林檎が飛んできた。父親が爆撃の決意を固めて林檎を投げ始めたからである。一つの林檎がグレーゴルの背中にめり込んだ。その瞬間、グレーゴルは身体の全感覚が完全に狂いその場に伸びた。そして、母親が父親目がけて走り寄り、グレーゴルのための命乞いをした。
 父親が投じた林檎が背中にめり込んだままとなり、グレーゴルはそれによる傷によって一か月以上苦しめられた。グレーゴルは、その傷のせいで身体を自由に動かせなくなり、部屋を横切るにも非常に長い時間が必要になっていた。家族の様子もすっかり変わっていた。母親は、流行服飾店から頼まれた上品な下着類の針仕事をし、グレーテは売り子となり、もっとましな働き口にありつこうと、夜を速記術とフランス語の勉強に当てていた。多忙のためグレーテは、グレーゴルの世話を熱心にしなくなり、また、他に置き場所のないような品物は何でもグレーゴルの部屋のなかに入れるという習慣ができあがっていた。なぜなら、家のなかの一部屋を三人の紳士に貸したからであり、その三人の下宿人は自分たちの家具を持ち込んでいた。それだけでなく、灰捨て箱やごみ箱までもがグレーゴルの部屋に入れられた。このため、グレーゴルが部屋のなかを這い回る余地が次第になくなっていった。
 一家が夕食を終えた後のことである。グレーテが弾くヴァイオリンの音が聞こえ、三人の紳士はそれに興味をそそられ、茶の間に来て演奏するように言う。父親が譜面台を、母親が楽譜を、グレーテがヴァイオリンをそれぞれ持って来て、グレーテはヴァイオリンを弾き始める。家族の者はグレーテの演奏に気取られたが、三人の紳士はその演奏に飽きてしまった。グレーゴルはと言えば、グレーテの演奏の音に惹かれて少しずつ前のほうに出て、やがて首を茶の間に突っ込むことになる。そのグレーゴルの姿に一人の紳士が気づき、家のなかが騒がしくなる。しまいには、一人の紳士が一家に対して、費用を支払わずに契約を解除し、その上、損害賠償を請求すると宣言し、それに他の二人も同調してしまう。三人の紳士が自室に入った後、一家は絶望に陥り、そんななかグレーテはグレーゴルを放り出すことを提案する。グレーゴルには、グレーテを不安にさせようといった意図はまったくなかったが、結果的には不安にさせてしまった。グレーゴルは再び自分の部屋に戻った。グレーゴルが部屋に入るとすぐにドアが閉じられ、閂がかけられた。ドアを閉じたのはグレーテであった。自分の部屋に戻ったグレーゴルは、自分がまったく動けなくなっていることに気づく。そして、身体の痛みがやがて薄らぎ、背中の腐った林檎やその周囲の炎症部の存在も感じられなくなっていった。窓の外が一帯に薄明るくなり始めたことはわかっていたが、首が勝手にがくんと下がっていき、鼻孔から最後の息が漏れた。
 早朝、手伝い女がやって来て、グレーゴルの部屋を覗いた。そこにはグレーゴルの死体があり、手伝い女は一家をグレーゴルの部屋に呼び寄せる。父親、母親、グレーテはグレーゴルの死体を確認した後、再び寝室に戻る。今度は例の三人の紳士がやって来て、朝食の用意がされておらず、親分株が朝食の在処を手伝い女に不機嫌に尋ねる。それに対して、手伝い女はグレーゴルの部屋へ行ってみろという合図をし、三人の紳士はそれに従いグレーゴルの部屋に行き、そこでグレーゴルの死体を目撃する。その時、父親と母親とグレーテが再び寝室から出て来る。グレーゴルの死のためか、三人とも泣いた痕跡が見えたが、父親は三人の紳士に対して強気に出る。「即刻ここをお立ちのき願いましょう」と父親は言う。やがて三人の紳士が家から出て行くと、一家三人はこの日を休息と散策に使おうと決める。一家三人はそれぞれの勤め口に欠勤届を書き、三人揃って家を後にし、電車に乗り郊外に出た。これは、数か月以来なかったことであるが、他に乗客のいない車内で三人はこれから先のことをあれこれ語り合う。三人の職業はどれも恵まれたものであり、将来は有望であることがわかった。そして真っ先に改善すべきは、グレーゴルが探し出した現在のものよりも、もっと手狭で家賃が安くもっと住み良い家に変えることであることも一致した。そして、両親はグレーテの様子を見て、顔色を悪くしたほどの心配や苦労にもかかわらず、美しい女性に成長していることに気づき、そろそろ手頃なお婿さんを探さなければならないと考える。最後は次のように締め括られる。

 降りる場所に来た。ザムザ嬢が真っ先に立ちあがって若々しい手足をぐっと伸ばした。その様子は、ザムザ夫妻の目には、彼らの新しい夢とよき意図の確証のように映った。

 以上が本作のあらましであるが、ここからは筆者の印象や見解を述べていきたい。
 本作はここ近年、「引きこもり」や「ニート」との関連で語られることが多いが、その側面は否定し難い。グレーゴルが虫に変身し、不本意な形ではあれ部屋のなかに閉じ籠ることになったことは、一応広い意味で「引きこもり」と言える。だが、忘れてならないのは、父親の状態である。商売の失敗によって多額の借金を抱え、かつそのショックで労働への自信を失い、代わりにグレーゴルが家計を支えていた。この父親の状態も「引きこもり」と言える。だが、グレーゴルが虫に変身してしまった以上、家族のなかの他の誰かが家計を支えなければならない。やむを得ない事情によるが、父親は職を得ることになる。父親だけではない。母親も、十七歳に過ぎないグレーテも仕事を得るに至る。これで一家のなかでの立場が逆転する。グレーゴルから見て、職を得た後の父親はまったくの別人となる。虫となった後のグレーゴルは、家族にとって非常に邪魔な存在に変わっている。それゆえに、家族三人の「生命の飛躍」は不充分である。世間体を気にさせる存在としてグレーゴルがしぶとく生き残っているからである。それだけに、グレーゴル死後の家族三人の動きは不気味である。グレーゴルの死によって悲しみの痕跡が残されているものの、呪縛から解放されたかのように家族三人は「生命の飛躍」を完全な形で遂げている。父親は、前夜と打って変わって、三人の紳士に対して、強気に出ている。両親は、グレーテが心配や苦労にもかかわらず、美しい女性に成長していることに気づいている。
 モーリス・ブランショは、本作の終わりでグレーテが示す仕草について、次のように言っている。

 存在は続く、そして若い妹のしぐさ、彼女が物語の終りで示す生への目覚めの動作、快楽への助けを求める動作は恐ろしさの絶頂である。この物語を通じてこれほど恐ろしいものはない。それは不幸そのものであるが、また一陽来復であり希望である。なぜなら、若い娘は生きたいし、生きることが、既に不可避なものを逃れることだからである。
(モーリス・ブランショ著、重信常喜・橋口守人訳「カフカ読本」、『完本 焰の文学』、紀伊國屋書店、1997年)

 「不可避なもの」を「死」と言い換えてもよいが、ブランショの言わんとするところは、グレーテに限ったことではない。両親もまた同様であると言わなければならない。ただ、両親の場合は、年齢的にも衰えていく一方である。グレーゴルよりも若く十七歳のグレーテにはまだまだ伸び代があり、それゆえに、グレーゴルの死後にも存在は続くのである。そして、両親もグレーテの成長に希望を見出すのである。いずれにしても、グレーゴルの死によって、両親も、グレーテも、「不可避なもの」=「死」から逃れようとしている。
 カフカは、本作について、出張旅行が多かったがゆえに中断を余儀なくされ、出来栄えが悪くなってしまったと日記に漏らしているが、筆者としては、時間的余裕があれば出来の良いものが書けるとは思わない。ただ、カフカにどういう構想があったかは気になるところである。
(高橋義孝訳、新潮文庫、1952年7月刊)

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