東日本大震災から11年、1年に1度、1分だけでも震災に思いを馳せるために『永遠の1分。』を見よう。
2022年3月11日で東日本大震災から11年です。どんな人も時間が経てば記憶は少しずつ薄れ、出来事は少しずつ「風化」していきます。それが自然の摂理なのです。
でも、私たちは思い出すこともできます。記憶が薄れていくのを弱めることはできるのです。私は3月に入ると毎年そんなことを思いながら、せめて何か1本、震災にまつわる新しい映画を見ます。
今年は『永遠の1分。』がそれでした。
この映画は『カメ止め』チームが制作した劇映画で、コメディよりのドラマです。
この映画には2つの軸があって、1つは、3.11のドキュメンタリーを撮るために派遣されたアメリカ人の映画監督がドキュメンタリーではなくコメディ映画を撮ることを決意し、その映画を作っていくという物語。もう1つは、震災で家族を失い、逃げるようにアメリカに渡った歌手の女性の物語。
この二人は完全な部外者と、完全なる当事者という対局の立場で、その二人を対比させながら、その間にいる様々な人の存在を描いていくという物語です。
気になった人は、映画を見るか、上の記事を読んでもらいたいですが、この中で私が一番共感したのは、ずっと震災についての取材を続けている記者で、彼女自身は被災者ではないけれど、「部外者でいたくなかった」という気持ちで取材を続けているという存在。
彼女がやっているのは、「当事者と部外者の間を取り持って当事者を増やそうとする」ことで、それはつまり震災を被災者だけの問題にしないように務めること。
私は震災直後から被災者と部外者の間には断絶があったと感じていて、それは森達也監督の『311』などにも現れているわけですが、多くの人がその断絶を乗り越えて、みんなで震災を乗り越えようとしてきた。時間の経過で「風化」がする一方で、その溝はどんどん埋められていくといういい面もあったと思うのです。
そして、震災からの立ち直りが完了していない以上、その営為はこれからも続けなければならないし、それはこの映画を作った人たちも持っている思いでもあり、私も持っているのです。
話がまどろっこしくなりましたが、この映画を見ると、自分と震災との今の距離感を見直すことができて、自分が何をするべきか考えることができるのです。だから、震災から11年経ってこの映画が生まれたというのは非常に意義深いことだと思います。
映画として抜群に面白いかというとそれほどでもないかもしれませんが、Awichさんの歌は最高で、震災直後に音楽に救われたときの感情がよみがえりました。津波の映像も出てくるので、中には見るのがきつい人もいるかも知れませんが、それも含めて、11年前の記憶や感情を呼び戻し、次の1年何をするべきか考える非常に良い材料になるのではないかと思います。
大きな出来事の只中や直後にはドキュメンタリーが力を発揮するけれど、ある程度時間が経ったら、フィクションのほうが、観客の心を揺さぶったり、省みさせることができるのかもしれないということも思いました。
現在公開中ですので、ぜひ劇場でご覧ください。