京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(29)ブッダガヤ「マハーボデ寺院」①
かつて、釈尊(悟る前は、ゴーダマ・シッダルータ)は、釈迦族の王子として、冬、夏、雨季と季節毎に住み替える、三つの宮殿を与えられ、地位と物質的な享楽では、素晴らしく恵まれた暮らしをおくっていた。
宮殿では多くの従者と女性に取り囲まれ、贅と官能の限りが尽くされ、やがて、美しい妻と愛児にも恵まれるが、王子の少年期に芽生えた、誰も逃れえぬ“生老病死”への恐れと、世の“無常感”は払拭できず、29歳にして、王家の暮らしを全て捨て、出家し、修行の旅に出た。
釈尊(ゴーダマ・シッダルータ)は初めに、瞑想法に優れたカーラーマ仙人のもとで修行するが、短期間で直に、仙人と同じ境地に達した。次により高い境地を得る為、ラーマプトラ仙人を尋ねるが、そこでも短期間で、仙人と同じ、無念無想の境地に達してしまう。
だが、釈尊(ゴーダマ・シッダルータ)は、瞑想法で一時的に得れる境地でなく、自分の身体を痛めることで、覚醒されるであろう世界を求め、苦行する者が多く集まる、苦行林の奥へ、奥へと踏み入って行った。
伝えられる、釈尊(ゴーダマ・シッダルータ)の苦行は、想像を絶する。長時間、息を止める業では、刃物で切り裂かれるような激痛が頭と腹に走り、仮死状態になったり、一日一粒の米や胡麻しか食べない断食業では、骨と皮だけになり、死にかける。
など、激しさはハンパでなく、他の修行者たちを圧倒し、修行仲間からも尊敬されていたと云う。釈尊(ゴーダマ・シッダルータ)は、その荒行を6年続けたとされている。(何故、6年も続けたのか?、続けられたのか?凡夫には、謎だが‥)
しかし過度な断食によりついに、釈尊(ゴーダマ・シッダルータ)は死の淵を彷徨うが、運よく、村娘の乳粥の施しを得て、一命をとりとめた。その時彼は、苦行では命を落とすだけで“悟れない”と、限界を知る。
少しずつ、体力を回復した釈尊(ゴーダマ・シッダルータ)は、近くの河で沐浴をして、心と体を清めて、菩提樹の下で深い瞑想に入った。瞑想の中で、悪魔の誘惑・煩悩と戦い続けるが、ついに釈尊は、悪魔に勝ち、瞬間“悟り”が開き(降魔成道)、目覚めた人“ブッダ”となった。
さらに瞑想を続けて、全部で49日目に、釈尊(ブッダ)は、自ら得た“悟り”を衆生に広める為、菩提樹を後に、歩きだして行く…
その、釈尊(ブッダ)が、悟りを開いたとされる、菩提樹の木が、今も残り、仏教最大の聖地が、ここ“ブッダガヤ”である。
そして目的の世界遺産「マハーボディ寺院」は、この中に聳えている。が、意外にも寺院は、車が往来する地上より低い所に建っていた。
高い鉄柵に沿ってゲートに行くと、警備員のボディチェックを受ける。
昨年、7月の爆弾テロの影響で、いささか物々しいが、寺院周辺は人でごった返しているから、用心をするにこしたことはない。
ゲートから40段ほど階段を下りて、寺院正面の本堂入口へと向う。
寺院と言っても、煉瓦造りの巨大な四角錐の大塔で、高さ約52mのヒンドゥ教神殿様式の九層に築かれた建物である。
この大塔は初めに、紀元前3世紀頃、アショカ王が建てた塔を基に、少しずつ増築され、7世紀頃に今の大塔にまで、なったようである。
12世紀、イスラム軍が侵攻した時には土を盛り、寺院全体を隠した。今、大塔の位置が地上より低いのは、周りを積み上げたお陰らしい。
それにしても、大塔への人々の信仰の深さとエネルギーには驚く。ユネスコ世界遺産への登録は、2002年となっている。大塔へと近づくほどに、ますます、その高さに驚かされる。
日本に現存する古い搭で、日本一の高さを誇るのは、我らが京都に聳える、東寺の五重塔(約55m)だが、木造と煉瓦造りの構造上による意匠性の違いは別として、礼拝する建物としてのド迫力は、凄い。
そのド迫力に慄きながら、吸い込まれるように、凡夫は進んだ。
インド仏跡巡礼(30)へ、続く
(2015年1月3日 記)