情報社会を生き抜くための本56「オードリー・タン」その5 デジタル民主主義(オードリー・タン)
第3章は「デジタル民主主義」について書かれている。付箋が一番挟まれている章だ。1ページに何箇所も挟んであって、これではどこをピックアップしていいのかわからない。そのくらい宝石のような言葉がたくさん書かれている。世界が民主主義国家として発展していくには、我々が何をすべきなのかを示している。強い言葉ではなく、優しい言葉で。
考えてみれば、この本には「〜すべきである」などの断定的な表現はない。訳語ではあるが、一文一文が優しい言葉でとても丁寧に書かれているのだ。難しい言い回しや表現には分かりやすいようにいきさつや説明があり、内容は難しくても10代の少年少女にもきちんと考えられるように書かれている。だから、考えさせられる。
オードリー・タンの政治的な原点は、11歳。父の仕事の都合で過ごしたドイツでの1年間だった。天安門事件で中国からドイツへ亡命した青年たちが父のもとに集まり議論しているのをそばで聞いていて、民主主義の原点を考えるようになったのだ。「中国人は民主主義を成し遂げられるのか」と「私たちは(当時戒厳令下で)台湾の民主主義を実現できるか」だったという。ドイツにいたからこそできたのだと思う。それから20年、33歳のときにオードリ・タンは台湾でおきた「ひまわり学生運動」に関わるようになる。2014年の「ひまわり学生運動」は、台湾と中国の間にサービス貿易協定を締結することに学生たちが反対しておきた。この運動で協定は見送られたが、もし締結されていたら台湾のIT製品は中国製のチップで占められ、その後の世界を変えていたと考えられる。世界中のコンピュータのマザーボードの多くが台湾で製作されている。このチップが中国製になった時点でデジタル大中華圏が成立してしまったのだ。現在、アメリカと中国でおきている情報化貿易戦争の数年前である。コロナ禍でいち早く復活した中国はこれからますます強くなっていくと考えられ、民主主義の存亡がかかっている。
オードリー・タンは声だかに政党の主義を主張するのではないが、傍観者になってはいけないことを主張する。「自分の考えが絶対正しい」ということが民主主義に反すると考えている。だから「保守的なアナーキスト」と呼ばれている。しかし、アナーキストを無政府主義と訳してはいけないと釘をさす。「権力にしばられない」のがアナーキストの立場なのだという。また、「保守」ではなく中国語の「持守」が近いという。「持守」とは自分の意思をつらぬくことだそうだ。そこには攻撃的な意味が含まれていないと説明する。確かに「保守」には、攻撃的な意味がある。ガンジーなんかも「持守」だったな。
直接そうは書かれていないが、李登輝首相と蔡英文首相について読者に関心を抱かせるような文章がある。李登輝については、台湾民主化の父としての取り組みへのリスペクトが書かれている。「台湾の建設や発展が台湾だけのものになってはいけない。台湾は国際社会に貢献する」という李登輝の考えが台湾人に浸透し、コロナ禍での台湾が現在発信している「Taiwan can Help」につながったのだとしている。また、蔡英文についても演説で人心を引っ張ることが苦手であるが「信頼」を伝えることができる政治家としている。同じようにツイッターという手段をとったトランプと大違いである。日本で災害が起きた時に日本語でツイッターを載せているのを知ってから私もフォローしているが、ときどき政治的な思惑を感じさせない暖かいメッセージが日本語で書かれていることがあり、なるほどなと思うことがある。日本語は独学で3年間勉強したそうだ。
台湾にはデジタル省はないし、オードリー・タンも行政機関の長として事務的な仕事はしていないらしい。オードリー・タンは、さまざまな省や行政機関の情報の集約・整理を行い、ネットを通じて国民が意見を述べるプラットフォームを構築しこれらの情報から最適解をもとめるような仕事をしている・・・と思われる。そう書いているわけではないが。少数の意見でもネット上で拾い上げ、賛同者が多ければ民意として実現していく。それがネットを反映したデジタル民主主義。・・・簡潔にまとめすぎだな。そんなに簡単にまとめられないや。ただし、見出しにもしているが「傾聴して共通の価値観や解決策を見出す」ためのツールがデジタル技術であり、それを用いて行動することで実現できるのだとしていることはよくわかった。
「『私はみんなと違う』『私の考え方は少数意見だ』と悲観することはありません。個人個人それぞれに物の見方は異なるので、本来、誰もが違う意見を持っているのです。」それでも自分の意見が少数に属することが気になるのであれば、そのときは『自分は他の人が思いつかないような物事の見方をしている』と思ってください。」と書き、そのような意見が社会をよい方向へ変えていくことに期待をよせている。台湾では道が陥没していたら、たとえ急いでいても止まって写真をとって役所に連絡をする人が必ずいる。それは「政府の仕事だ」「役所の仕事だ」と考えずに、「自分の仕事だ」と考えて行動することであり、それが社会を良くすることだと訴える。台湾で「鶏婆」(ジーボー)という気質だそうだ。「母鶏のようにおせっかいでうるさい」という意味で、それが民主主義を形成する重要な要素という。
民主主義をデジタル技術でアップグレードしようとしている強い意志と、そしてその根底にやはり人への優しさが満ちていることを感じた。