自転車は鉄パイプだと思うときその空洞に満ちてゆく海|鈴木晴香【一首評】
数ある好きな短歌から、今日はこちらの短歌をいただきます。
ほかの短歌鑑賞(一首評)は、こちらからどうぞ。
STEP1:ひとくち食べた印象やイメージ
鈴木晴香さんは、1982年生まれ。
最初に読んだ作品が、木下龍也さんと共著で出されている「荻窪メリーゴーランド(太田出版)」だったので、愛をテーマにした相聞歌を作る方なのかなと思っていた。
…でもそれは、ちょっと違った。
もちろん愛がテーマの作品は多い。
ほかの歌人と比べて、多いほうだとは思う。
でも、実は日常の小さな風景や気づきを切り取った歌もとても多い。
日々を誠実に暮らしていないと素通りしてしまいそうなその気づきは、思ったよりも大きく広がって着地する。
今回とりあげる短歌も、最初は「なんとなく好きだなー」と思った。
うんうんなるほど、でまとめようとした。でも、なぜか、いうことをきかない。どんどん想像がふくらんでしまうのだ。
結局、私の中でこの短歌は「壮大な生命の物語」になり、今もなお、ふつふつとふくらみつづけている。
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実は地球は、溶けた鉄でできているのをご存じだろうか。
今回はこの事実を前提に、はなしを進めてみたい。
自転車は、ただの鉄だ。
そして、このはなしを前提にするのなら、地球も自転車と同じただの鉄(無機物)ということになる。
わたしたちが「すべての生命の母」と慕っている海。
海は、ただの鉄である地球に命を注ぐ役割をする。
地球は海で満たされ、やっとはじまる。
自転車も海で満たすことができたなら、きっと新しい何かがはじまる。
この短歌で、わたしたちはその可能性を信じることができる。
STEP2:食べ続けて見えた情景や発見
心が壊れそうになった時、ヒトは意外と冷静だ。
ただなにか、ピントが合わない感じがする。
「抽象化」と「具体化」のダイアルがさびついている感じ。ダイアルを右に「1」回しただけなのに、望遠鏡が顕微鏡になってしまう感じ。
この短歌を読んだ時、その時のことを少し思い出した。
自転車は元気な時に見ると、自転車でしかない。
でも、ちょっと疲れている時に見ると、急に鉄パイプに見えたりする。
鉄パイプを通り越し、英語がみえる理系の人もいるかもしれない。
自転車が鉄パイプに見えてしまったら、やることはひとつだ。
空洞を作ろう。
忙しすぎて、日々に空洞(=隙間)がないのだ。
空洞を作れば、かってに海は満ちていく。
そしてまた、鉄パイプは自転車に戻っていく。
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ちなみに…鈴木晴香さんの第一歌集「夜にあやまってくれ」の中にも自転車の歌がある。
わたしは鈴木晴香さんの自転車の歌に、なぜかめちゃくちゃに惹かれてしまうようだ。
世間のイメージでは、鈴木晴香さんは「愛の人」かもしれない。
でも、私の中で鈴木晴香さんは「風をきって走る自転車の人」である。
まとめ:好きな理由・気になった点
・「鉄」という自転車(機器)と地球(自然)にある共通点の発見
・絶望感と同時に救いの可能性を感じる「空洞」や「海」という言葉選び
とても好きな短歌のひとつです。
ごちそうさまでした。