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cheeky_orchid948
「目標が目的化する」生き方は危険かも
イラっとする。
たまにあります。
あなたはどうですか?
要は
「自分」を変えさせられることに抵抗している
「反応」かもしれませんね。
経験則として思うのは、
イラっとして、良い展開は無いということ。
なので、もし
イラっとしてしまったら、
「そう」気付いたことを「神」に感謝して、
心を切り替えて決意しなおして、
自ら進んで喜んで関われば、
何ということも無いことだったと体験できるしょう。
そして、
心を向けて関わるなら、
ちょうど良い関りになって、
関係も良くなるものです。
人間って自由自在に適応する力が備わっているんですよ。
ありがたいですよね。
人って
「パーフェクトリバティー」な現れなんです。
唯一の個性を賦与されて、自由自在に適応できる力が備わっている。
尊い存在です。
なのに
その力を使わないで
例えば、
「なんで気付かないのか」、
「いちいち言わないとしないのか」、
「こっちのタイミングを感じろよ」、
「二度手間になることをしていることになっている」、
「自分のことは自分でしろよ」などなど
抵抗する気持ちなってしまい
「イラっとする」訳です。
要は、
「自分の目標達成」を邪魔されることが
「わずらわしい」のかもしれません。
そんな時の「幸せ」って、
まさに自己中心的です。
「世界」とのバランスが悪いです。
関係する世界を「芸術する力」があるのに
もったいない生き方になっています。
イラっとする反応が多い生き方に、もし、なっているとしたら、
それは
「目標が目的化している不幸」と思うことです。
自分の目の前の人がそうなら、
どう思うか考えてみればすぐに分かることですよね。
人の幸せとは何だったでしょうか?
人生の目的です。
その目的を忘れずに努力して生きていきたいですね。
人生は芸術である、楽しかるべきである。
続きは教会で!