「鏡」のような存在
今日はお休みで、しかも一人だったので、あれこれとしたいことが思い浮かびました。
しかし、あいにくの雨。
一番したかった生垣の剪定は、電動式の器具を使用するのでできません。
残念でした。
それなら、教会の壁や天井のクロスの汚れ除去をしようと思いました。
同時に私室の洗面所と浴室の壁の汚れ除去も思いついたのです。
他にも妻から頼まれていた買い物や、毎日作成しているコラムの執筆などなど、したいことだらけです。
心がしたいことに飛び出して、体が置き去りになってムズムズです。
したいことをしたいようにしたいだけしたい。
ああ、まさに我欲です。
我欲で生きると、誰にも止めることが出来ないわがままな生き方にどんどんはまっていくものです。
そうはなりたくありません。
関わる周囲の人が不幸になりますから。
なので、そんな状態のときは特に、「ただ今から○○のことをいたします。心を込めて取り組めますよう」と、丁寧にPLの礼拝をして始めるのです。
すると「バランス良くする」と決意ができて、美しく関われる感じです。
気付きが授かって、素直に切り替えられることを実感します。
「鏡」の前にわざわざ立つと美しくなっていくのと感覚的に似ているなぁと、いつもありがたく思うのです。
続きは教会で!