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校長先生! その祝辞が「小1プロブレム」をつくるのではありませんか

小学校を「受け入れろ」と?


 
 小学校の入学式における学校長の祝辞でしばしば耳にする次の言葉に、私は、ずっと違和感がありました。

 その言葉とは、

「新1年生のみなさん、早く小学校の生活に慣れてください。」

です。

この言葉のもとには、

 「新1年生は、小学校でやることは、まだ『できない』『分からない』存在である」

という新1年生観があるように聞こえてしまいます。

さらに言えば、

 「小学校が『主』、新1年生が『従』である。だから、新1年生は、小学校に合わせるべきだ」

という考え方、いささか大げさに言えば、教育思想があると思うのです。
 

1年生は「弱っちく」ない!


 
 どっこい、新1年生は、そんなに「弱っちく」ありません。ましてや、「白い板(タブラ・ラサ)」などではありません。

例えば、
「新1年生は小学校に入ると、急に『赤ちゃん』扱いをされる。」
という小学校参観に訪れたこども園などの保育士・幼稚園教諭の方の言葉をこれまで何度聞いたでしょうか。
「年長の時には、年少児のお世話までしていたのに、ペア学年の6年生に靴まで履かせてもらっている。」
と、あきれていらっしゃいました。
 
 そうなのです。新1年生はできるのです。
 確かに「小学校」という学びの「場所」に対してはビギナーです。しかし、「学びの場」において学ぶことや生活することは、ちゃんとできるのです。
 
 「できる」から、その「できる力」を発揮すれば、ちゃんと「学び・生活できる」のに、なぜ「こうでなくてはならない」というものを押し付けられなくてはならないのでしょうか。
 

「小1プロブレム」は誰がつくる?


 
 「小1プロブレム」と呼ばれる問題状況があります。新1年生が小学校生活になじめず、不安定な状態が長く続くことです。一時期、こども園などの「自由保育」が原因だなどと言われたこともありました。
 
 そうでしょうか。
 「小1プロブレム」とは、実は「新1年生は、小学校に合わせるべきだ」というその小学校の考え方がつくっているのではないのでしょうか。

 本当は「できる」のに、「できない」ものとされて、「こうしなさい」と押し付けられたら、それは、心身が不安定になるでしょう。
 
 奈須正裕氏は、中教審答申(2016年)p.120の「小学校低学年は、学びがゼロからスタートするわけではなく、幼児教育で身に付けたことを生かしながら教科等の学びにつなぎ、子供たちの資質・能力を伸ばしていく時期である」などの文言を引き、改訂された指導要領の目指す教育について次のように言います。


 つまり、旧来の小学校的なやり方に順応させるべく、木に竹を接ぐような特別な訓練や準備をするのではなく、幼児期までに培われた育ちを大切に受け止め、それをゆっくりと、しかし着実に、各教科等の学びに発展させていくわけです。

(『資質・能力と学びのメカニズム』p.54,東洋館出版社,2017)


 私もそう思ってきました。
 だから、1年生の担任になった時、こう考えました。

「1年生のできることを引き出し、一緒に小学校の生活と学習を創っていこう。」
 

「給食当番」システムを1年生がつくる


 
 そんな私の1年生の学級では、「給食当番」も、こんなふうに始まりました。
 
 今日から給食開始というその日、子供たちにこんな話をしました。
「小学校では、給食の準備や片付けを自分たちでやります。まず、給食室に行って…。」と、簡単にやり方を説明してから、
「みんな、できるかな。」
と、尋ねました。
 
 ほとんどの子がこう言います。
「できる!」
「やりたい!」
 
「でも、こんな大勢では、できないよ。」
と、必要な人数を教えました。
 
 すると、ある子が言うのです。

「半分に分けて交代やればいいよ。」
 
 「輪番による交代制」というシステムがこの1年生の学級に誕生した瞬間でした。
 
 これは大きいことです。
 今後の様々な活動におけるこの学級の原則ができたのです。
 日直にも、係活動にも、この後、適用されていくのでした。
 
 1年生の「生活・学習創り」の様子、明日に続きます。