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君と夏の日を
曇天。晴れ女の君にしては珍しい。
でもこのところの猛暑を考えるとこれくらいの天気の方がいい。女の子にとって日焼けは大敵だ。それに中目黒の駅から少し歩くこの店。着くまでに汗をかいてしまうとせっかくのメイクや香りがもったいない。
川沿いのレストラン。店の一番奥、四人がけのテーブルに座り、僕は外を見ていた。
今日はどんな服を着てくるんだろう、どんな話を聞かせてくれるのかな、そういえばこの前読んだ本の話をしなくちゃ、そんなことを考えながら冷えたビールで喉を潤す。
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黒い日傘。店の入り口で傘を折りたたむ長い髪。
かわいい色のワンピース。くすみのないきめ細やかな肌。しなやかにやわらかく動く腕。テーブルで待つ僕を見つけてほほ笑む口元。
「久しぶりね」
「そうだね。何にする?」
「オススメは?」
「夏だし、スパークリングワインなんてどう?」
「じゃ、それで」
去年の夏、中目黒で彼女と食事をしたのだがそれがとてもおいしくて、今年も夏は中目黒で肉を食べようと誘った。
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「そういえば酔う前に渡しておく。はい、これ。おみやげ」
「なにこれ?」
「ちょっと山に登ってきてね。その山頂で買った」
「え? 山? で、これ? 」
「うん。なんとなくだけどさ、君に似てない?」
「えー、これがー?」
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「ほら、このかわいい顔、見てよ。このまんまるの意思が強うそうな目。似てるでしょ」
「似てません」
「なにを?!君にこれを買うためにわざわざ山に登ったんだぞ!死ぬかと思うくらいつらかったのに」
「 ホント? 私のために?」
「あぁホントだよ!君のために登ったんだ。でも気に入らないなら、まあ、じゃあ、バッグにでもつけておいてよ」
「じゃあって何よ。つけるわけないでしょ」
「そっか。そしたらいつか君の子供が生まれる時まで取っておいてくれ」
「あっ、そ。 はぁ〜ぁ… 」
「なんだよ、そのため息」
「ううん。ありがとね。嘘だとしても私のために山に登ってくれて」
「うん。嘘じゃないけどね。駅のゴミ箱に捨てていくのだけは勘弁してね」
「わかった。一度は持って帰る」
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「最近はどう?仕事と彼氏は」
「仕事はね、最近はちょっとキャパオーバー気味で。お金は稼げるけど少し減らそうと思ってる」
「そっか。頼られてるんだね。信頼されてる、任せられると思われてるってことだ。悪くない。でもたしかに気力と体力のバランス大切だからね。ちょっとセーブするのはいいかもね」
「そうなの。彼氏とはまあまあ。落ち着いてるわ。でもなんだか最近は自分でも恋愛観が変わってきてるのがわかる」
「どんな風に?」
「んー、こうでなきゃダメって思ってたのが、もっといろんな形があってもいいのかな、とかね」
「そっか、そうだね」
だからかもしれない。以前はかわいいだけだった彼女に、最近はほんの少し色気を感じることがある。
僕が彼女を女として見ているというわけではなく、ふとした仕草や表情、目の動き、そうしたものに彼女自身も意識することなく”オンナ”を発しているのだと思う。
だが彼女を変えたのは彼氏の存在ではなく、たぶん彼女自身なのだろう。
経験を積み重ねていく日々の中で、何かを感じ取り、環境にアジャストさせながら自分を成長させていく、彼女の今はそういう時なのだろう。
今のまま、このままでいて欲しい、なんて思うのは僕のわがままで、彼女の時計がちゃんと進んでいることをうれしく思わなければいけないことはわかってはいるのだけれど。
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「おー、これがシャトーブリアンか。初めて食べる」
「これはお箸じゃなくて、ちゃんとナイフとフォークで食べないとね。いただきます!」
「どう?」
「んー、おいしい!」
満面の笑みで肉を頬張る彼女はやっぱりかわいい。
来年の夏には、きっと目の前の彼女はいない。
来年の夏には、きっともっと素敵な女性になっている。
流れていく今という時を、二度と戻らない彼女の今を、しっかりと受けとめておこう。
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店を出ると空は晴れ、夏の午後の日差しが容赦なく照りつけていた。
「さすが晴れ女だね。来週の富士山もお願いしたいよ」
「え? 富士山って?」
彼女はそう言いながら日傘をさした。
二人並んで、目黒川沿いを駅に向かって歩く。
「来週、富士山に登ってくる」
「なにそれ。大丈夫? 登れるの?」
「いやー、わからん。ダメかもな」
歩き始めて気付いた。だいぶ酔っている。
「死なないでよ」
「死んじゃうかもな。だとしたら君と会うのは今日で最後だ。チューするなら今のうちだぞ」
「そんなこと言うんだね」
「下ネタは趣味じゃないんだけどね。これはお酒のせいだ」
そう。だいぶ酔ってるから。
「へぇー、お酒のせいね」
「うん。ぜんぶこの暑い夏の太陽とお酒のせい」
「そっか」
「うん」
日傘をクルリと回して、彼女が足を止めた。
スーっとやわらかく、ゆったりと彼女の視線が流れる。それが止まるとまっすぐに僕を目を見て言った。
「キスだけでいいの? 」
「え?」
「なんてね」
そしてまた、日傘がクルリと回った。
見上げると、青く広い空に、夏の太陽が輝いていた。
-- TUBE『君と夏の日を』--
君と夏の日を
一緒に飲みほしたいね
乾いた心をいやして
この想いはずっと
冷めることはないから
二度とこない季節を
いつも Only You
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