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喜びの表現に思うこと

 WBCが終わってしまった。ずっと楽しみにしていた。大谷選手が出場すると決まってからはなおさらである。練習試合から本戦まで、ずっと幸せだった。こんな最高峰の試合を、毎日のよう見られるなんて…。1年間ずっと続けてほしい、心から思った。

 まあしかし、そんなことがあるはずもなく、たまにあるから特別であるわけで。わかってるんです。でもほんとに楽しい時間だった。

 心に留まったシーンはたくさんあるが、動画で何度も見直したところは、メキシコ線の周東選手のベースランニングからのホームイン、帽子を放り投げる一連のところ。ほんと幸せ映像。私の中のアドレナリンだかなんだか知らんけど、幸せな気持ちにさせる何かが放出される感じ。

 そしてさらに私が何度も繰り返し見ているのは、そのあと、選手がみんな集まってきて喜び合うところ。180センチを越える大男たちが、ぴょんぴょんと跳び跳ねる。そういや、この試合のこの場面、私も、そして一緒に観戦していた中学生のでかい息子もぴょんぴょん跳ねながら涙を流して喜んだ。
 確認のため、決勝戦、大谷選手がトラウトから三振をとり、グローブを投げ捨て、帽子を投げ捨てたあとの様子を見てみたが、やっぱりみんながぴょんぴょん跳び跳ねながら集まっていた。人間という生き物は、「嬉しい」の表現を跳ねることで表すのだ。

 小学生の子どもたちを見ても、確かによく跳び跳ねている。ドッジボールで勝っただの、給食の余りをもらうじゃんけんに勝っただのと。特に低学年の子どもの方が跳ねている気がする。

 跳び跳ねて喜ぶという行動は、本能的で原始的な表現なんだと思う。普段は理論や科学だとのたまっている大人も、本当に自分の内なる喜びを表そうとすると跳び跳ねるんだな…。そんなことを思いながらWBCを見直すと、心の底から野球を楽しむ選手たちの姿に、また胸がじぃんとするのだ。

 最近は号泣することも、心から感動することも少なくなった。そんな風に「冷静に」「俯瞰的に」物事を見つめることがカッコいいという風潮もあるのかなと、自分自身を振り返っても思う。そんな中でのWBCの熱狂はステキだった。選手も日本のみなさんも、世界の野球を愛する人たちも。そんなことを思いながら、また侍たちの戦いを動画で見直しながらビールを飲み、幸せな気分に浸るのです。

#WBC観戦記

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