学校に勤めていると、一年に一度か二度、PTA新聞といったものが発刊される。最初のものには、職員それぞれのプロフィール載せたいんでよろしく~となる。 テーマは学校により、年により様々。「小学生のころなりたかった職業は?」「生まれ変わったら何になりたい?」「行きたい場所は?」などなど。 そして今年のテーマは、「癒されるものはなんですか?」 癒されるものかあ・・・。 雨の音。 大谷のホームラン。 ミセスの曲。 生ビール。 ほかの人のを見ると、食べ物が多い。 あと、動物、子ども
小学校3年生の教科書に載っている、「モチモチの木」というお話を知っているでしょうか。または覚えているでしょうか。 最近仕事で読み直す機会があり、改めて力のある教材だなぁと感心しました。 じさまと二人暮らしの豆太。「全く、豆太ほどおくびょうなやつはいない。」という文の始まりからわかるように、豆太は怖がりの臆病者というキャラクター設定。 しかし五歳の子が一人で外にあるトイレに行けないくらい怖がり、という説明はちょっと酷だなぁと思う。そりゃ怖いでしょ。しかも外には、空いっぱいに
旅に出たい。 でも正確に言うと、ちょっと違う。 夏、少し遠くに出かけるたびにとにかくビールを飲んだ。 大阪で小籠包を食べながら生ビール。 焼き鳥を食べながらも生ビール。 電車の中では缶ビール。 東京でラーメン食べながら瓶ビール。 神宮球場で生ビール。 ホテルの部屋で缶ビール。神田川眺めながらクラフトビール。 東京駅でタコときゅうり食べながら生ビール。楽しい。おいしい。 そう。私は、旅行に行きたいというより、ビールが飲みたいだけ。 ああ、どこかへ行きたい。
7月、見事にゼンジンライブに参加することができ、ますますミセスにはまる毎日。飽きもせずに彼らの曲を聞きつづけているのは、聞くたびにささる言葉が発見できるから。大森さんの描く「孤独」な世界を少しだけ。 「ライラック」 影が痛い 価値なんかない 僕だけが独りのような 夜が嫌い 君が嫌い 優しくなれない僕です 光が痛い 希望なんか嫌い 僕だけが置いてけぼりのような 夜が嫌い 独りが怖い我がままが拗れた美徳 「They are」 今日もただ 独りで寂しいと 君の前で思ってしまう
夏の大阪を58階のトイレから見下ろす
野球が好きだ。 始まりはどこだろう。草野球歴70年の父親だろうか。(81歳でさすがに野球ができなくなった、と先日ぼやいていた。)中学時代にアイドル化していた古田や高津(ヤクルト)や西崎(日ハム)や秋山や清原や工藤(西武)のせいだろうか。(プロ野球選手とお近づきになるにはアナウンサーになるしかないと、高校時代は放送部。)はたまた最高のヒーローであるイチローの出現、恵まれた息子二人ともが野球をするという奇跡、そしてショウヘイオオタニ、あなたのせいか。 なんだかわからんけれど、休
TVerで二宮和也に導かれ「天国で君に会えたら」を見た。 また二宮和也が、アイドルや俳優ではなく、ガン患者のカウンセリングを仕事にしてる人だと勘違いしそうだった。くらい自然な演技。 ええもん見たなあ。多くの人は、聞くことより話すことが好き。子どもそう。話したくて仕方ない。大人も潜在的にはそうなんじゃないかな。次の飲み会は聞き役に徹しよう…などとどうでもいいことを考えていたが。 実家に呼ばれていたダンナが帰ってきて、着替えもせず椅子に座り、ふぅと息をはくので、なんや
寂しい日ってあるよね 何があったってわけじゃないの なんなら家族もいるし 連絡すれば友だちと つながることもできるの でも寂しいの 呑みすぎたのかもしれない 感じすぎたのかもしれない 認めてほしいわけでも 褒めてほしいわけでもないの ただ自分の中に生まれた暗闇を どうにかして埋めたいだけ 自分にもいいところがあるとか プラスに考えたほうがいいとか 知ってるの そんなことは いつもそうしてる 愛してくれる人がいる 愛する存在がある 今
ポジティブシンキングで、プラス思考でいよう、といつの頃からか後ろを向くことが良くないというような風潮になった。 私は逆境に弱く、自分の言動をふりかえることも苦しくて耐えられない。だからポジティブでいようよ、という世の中の流れは救いではあった。そうか、逃げていいのか、ふりかえらず前を向いていればいいのか。なんてすてきな思考。私はその考え方を得てから、夜に得体の知れない大きな恐怖に襲われて眠れないこともほとんどなくなったし、人の目を過度に気にして辛くなることも減った。生きや
少し前になるけれど「午前0時の森」の最後のゲストの回を見た。 二宮和也がゲストだったからなんだけど、それを差し引いてもとても興味深い番組。最終回とのことで惜しい。もっと早く知りたかった。 私は完全に「こっち側」の人間だと改めて認識。自尊感情高めの方は「あっち側」。ニノは、誰もが認める大スターだし、さぞかしキラキラした世界の人かと思うけれど、ファンなら誰もが知るこっち側。 面白いなと思ったのは、カウントダウンライブで、「和也」と書かれたうちわがいつもより多く、つい調
#今年やりたい10のこと 50歳に近づいた頃から、途端に自分の「死」が現実的に感じられるようになった。今この瞬間も死ぬ時に向かって進んでいる。だとしたら、今日という日を無駄に過ごすわけにはいかない。 無駄のない時間の使い方って何か?と考えたとき、今の自分は「人のためになることをする」ことだと考える。何も、ボランティア活動とかそんな大きなことではなく、みんなでいる場の雰囲気をよくするための努力をするとか、誰かのことを考えるとか、もちろん困っていたら声をかけるとか手助けする
「一緒に見たかったなあ」 そうかわいらしく言えたら、これまでももっとうまくいったこともあるんだろうな。いや、だからこそこれまで、ええ感じの距離感を保って、うまくやってこれたのかもな。 夫の話です。 映画「アナログ」を見に行きました。穏やかで温かくて、見終わった直後は全人類に優しくなれる気分…。 邦画いいな、二宮くんいいな、愛情っていいな…。まさに誰かに好きだと言いたい気持ちでいっぱいなのですが、生憎映画は一人で見てた。一緒に映画館まで行った夫は「沈黙の艦隊」が見たいとそち
日本の多くの人たちがそうであるように、わたしも宮崎駿作品と共に生きてきた。初めて見たのはたぶん「天空の城ラピュタ」で、中学生だったと思う。その後、「となりのトトロ」は誇張でなく100回は見た。失敗したり嫌なことがあった日に流すトトロは、わたしにとっての精神安定剤だったから。それからも様々な作品に様々な思い出がくっついている。 そんなわたしを知ってるから、夫が「君たちはどう生きるか」を観に行こうと誘ってくれた。夫には悪いが、できれば一人で観たいと思っていた。大勢がよくわか
今年で50歳になる。半世紀も生きてきたのかと驚く。子どもの頃、または若い頃の50歳は圧倒的に大人だった。そんな大人になれてるのかどうかはわからない。 年齢を尋ねるのは失礼だという風潮があるように思う。また聞かれた大人が「気持ちは20歳かな」などと答えているのを聞く。なんでやねん、と思う。年齢が上であることが恥ずかしいということか? 小学生の子どもたちもよく聞いてくる。ちょっと笑いながら、先生、答えるの嫌がるやろな、という気持ちをこめて「先生、何歳?」と。「49歳や
WBCが終わってしまった。ずっと楽しみにしていた。大谷選手が出場すると決まってからはなおさらである。練習試合から本戦まで、ずっと幸せだった。こんな最高峰の試合を、毎日のよう見られるなんて…。1年間ずっと続けてほしい、心から思った。 まあしかし、そんなことがあるはずもなく、たまにあるから特別であるわけで。わかってるんです。でもほんとに楽しい時間だった。 心に留まったシーンはたくさんあるが、動画で何度も見直したところは、メキシコ線の周東選手のベースランニングからのホーム
先日、担任をしていた6年生の卒業式でも、涙を流すことなく、「元気でな!ばいばい!」とお別れした私が!涙が止まらないのです。 7回裏、なかなか追い付けなかった3点差を、一気にうめる吉田の奇跡のスリーランで3-3。しかし8回、それまで全く打たれる気配がなかった山本がつかまり失点、3-4。色々わけあって近い存在の湯浅が出てきて、無駄にドキドキする。好投するも1点追加され、ベンチで帽子をたたきつけ悔しがる湯浅。もうだめか~と思った裏の攻撃、相手ピッチャーの具合が悪く、結果、山川