『新国立劇場』人生万景
あの震災の数ヶ月前から。僕は作品契約でそのピアニストの付き人となった。
本番前は秒単位で業務があった。これは比喩でもなく、本当に秒単位だった。
舞台の本番直前になると、そのピアニストは洗面器の中に入れた熱湯に両手を入れる。浸ける、と書いた方が正しいかもしれない。その熱湯をつくるのも僕の業務の一つだった。
温度計で何度、とは教えられなかった。
「この温度」
そのピアニストに作ってもらった熱湯に自分の両手を入れて覚えるしかなかった。とにかく熱い。熱湯だから。痛い。
なかなか必要温度が作れなかった。温度計を持ってくれば良かったんだけど。クリエティブな人に対して簡単な答えを出したくない、という気持ちは僕の個人的な意地だった。
ある日、気がついた。そのピアニストが熱湯に入れていたのは両手ではないことを。両指だ、と。
僕は自分の10本の手の指で温度を測るようにしてみた。
その日から、僕は不思議と必要温度の熱湯を作れるようになった。
千秋楽に近づいてきたある日の楽屋で。
「マンジー(僕のあだ名)、今日は俺の身の回りのことは一切しなくていいから」
そのピアニストから封筒を手渡された。
「俺からのプレゼント」
中を開けると当日公演のチケットだった。
「いつも舞台袖からだけど。今日は客席から観てきてほしい」
そんなつもりで劇場入りしてきていなかったから。額面通りに受け取っていいものなのか。嬉しいことなのに。顔ができない。僕の悪い癖だ。甘え切ることが下手なのだ。
「舞台は観る前もそうだけど、観た後の余韻も楽しむものなんだよ。それも含めての1つの作品だから。そこもしっかり楽しんできてほしい」
僕は鳥の羽を受けとるかのように、大事にチケットを受け取った。
エージェントから後日聞いた話だけど。そのピアニストはあえて自腹でチケットを購入されたそうで。それを僕にプレゼントしてくれたそうだ。
舞台本番。
音楽監督でもあるそのピアニストは客席に背中を向ける形でスタンウェイを弾いていた。背中を観ているのに僕には顔が見えた。
そのピアニストの足元にはいつものミネラルウォーター。足りているかな。欲しいものがあるんじゃないか。心配になった。が、作品に集中した。お気持ちを無駄にしたくなかった。
客席から観るといつもよりも色や匂いを感じた。世界観が立体的に観えた。舞台上に寝静まりかけた町も。電車も。人の命も。
最後、小堺一機さんのモノローグが妙に心に沁みた。沁みたものは、今日もまだある。たぶんずっとあると思う。死ぬまでは。
そのピアニストが奏でた最後の一音が、一冊の本を閉じるような形でひとつの町のお話を終演させた。
周りの人がしているから、自分だけしなかったら何か思われるかな、という拍手ではなく。心から拍手をしたのは生まれて初めてだっだと思う。それも立ち上がってだなんて。恥ずかしい。その日まではそう思っていた。そんなことなんて。
僕の拍手が一番最初に鳴り響いた。
観た後の余韻もしっかり楽しむよう言われていたんだけど。僕は急いで楽屋に向かった。走った。時間と共にこぼれ落ちていくものだから。感動は。情けないけど感謝も。質なのか量なのかわからないけど。純度を感じるうちに戻りたかった。
楽屋のドアを開けると、そのピアニストは僕がすぐに戻ってくることを知っていたかのように微笑んだ。
僕はそのピアニストの名前を呼んだ。
「なんで泣いてんだよ」
言葉にならなかった。持っている言葉じゃ当てはまらなかったから。まだ持っていなかったから。言葉がないから音になった。
そのピアニストは両手を広げて僕を強く抱き締めた。
「ありがとう。マンジー」
頑張るのは当たり前。頑張っても間に合わない。間というのはスピードのことだけだと思っていた。違った。タイミングも含まれていた。タイミングを合わせるにはセンスはもちろん知識のほうが必要だった。
例えば、差し入れを出す順番なんて知らなかった。ルールはあるけど見えない。教えてもらうものでもない。ただ敬意があるかどうか。敬意があるなら迷わない。わかる。見える。できる。教えてもらわなくても。目立つことは二の次。僕に足りないところだった。
その日まで生き得てきた全部を出しても足りないシーンの連続。そう感じる日々だった。ただただ人間力の違いを痛感した。
毎日のように公演されている新国立劇場の舞台に加え、東宝の大作映画のレコーディング、アダムとイブくらい有名な声優さん達が出演する舞台、ほとんど同時進行だった。会う人会う人がテレビで観るような人ばかりだし。家に帰ってもJASRACから電話があったりなかったり。いつもケータイを気にしていた。お風呂から出ても。寝ても覚めても。24時間仕事をしているような。気が休まらない日が続いていた。
注意されるのは自分の力不足だと理解していた。今思うとあれらは注意ではなかった。僕のことを思ってのこと。ご指導だ。今ならわかる。
本番直前でも、レコーディング中でも、MA中でも、いつでもどこでも僕にわかるように、例え話を交えながら丁寧に理解するまで教えてくれた。時間を使ってくれた。
事あるごとにそのピアニストは僕にこう言った。
「マンジーは大丈夫だよ」
ちょうどその頃、僕は仕事に繋がるようなチャンスをそのピアニストからいただいたんだけど。自分の準備不足と実力が足りずに潰してしまったことがあった。
「マンジーは大丈夫だよ」
その言葉をいただく度に、自分の不甲斐なさを感じていた。情けなくなっていった。僕は大丈夫じゃないです。
「マンジーは大丈夫だよ」
演奏したばかりのピアニストの両指に僕は抱き締められ、子供のように泣いた。百万語が交わされた涙だった。
この楽屋で過ごした時間も作品を観た後の確かな余韻となった。それも含めての。僕が観た最高の舞台のひとつ。
久しぶりにそのピアニストとお会いした。これは比喩なんだけど。実際はテレビの前で。
そのピアニストは大河ドラマの音楽監督としてお見えになられた。
沢山の音の中からそのピアニストの匂いを懐かしく感じ取りながら。僕は静かに耳で拝見した。
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