死んでも愛してる。
忘れることができる。それは人間の強さだ。
忘れるから、一度出産という痛みを経験したあの友達も、また次の子供を産むことが出来た。
忘れるから、タバコの吸いすぎで病気になったパパも、完治して健康な日々が数年続けば、また吸い出している。
くうがお空に旅立った日、くうの仕草や珍事件を思い出しては、何をしていても涙が溢れたのに。
今日はそういえば目が腫れていない。
何もする気が起きなくて、何も考える気になれなくて、ただ息をするだけの時間が続いていたはずなのに。
今日は次の休日の予定をたてたりした。
このまま時間が経ったら、くうなんかまるでいなかったかのように、素知らぬ顔で生きてしまうのだろうか。
くうと出会ったのは、私がまだあどけなさが残るピカピカの中学生だったとき。
幼少期に犬に噛まれたり追いかけられたりした経験があった私は、大の犬嫌いである。
そんなことは家族全員知っていたはずなのに、ある日近所のホームセンターでパパとママと弟がにこにこしながらくうを抱きかかえていた。
「ねえ、いいでしょ?」
家族写真のお手本のような光景を前に、3人にそう尋ねられてとてもだめとは言えない。
その日からくうは家族になった。
まだ幼かったくうは、それはそれは元気な子だった。
茶色と黒と白が入り混じったふわふわの毛並み。顎の下は白い毛が多く、前掛けをしているみたい。真っ黒で真ん丸の瞳と、興奮して半開きの口。三角の耳は上にピンと立て、長い毛をひらめかせている。上に丸く上がった尻尾は箒のようにふさふさだ。
家の中をハアハア息を切らせて縦横無尽に駆け回り、隙があればドアをすり抜けて洗面所や台所、トイレや2階に忍び込む。
「こっちに来ちゃだめ!」とみんなに怒られ、毎日くうとの駆けっこが開催された。
2階から落ちたら大変、台所で踏んづけたら大変、と家の至るところにバリケードが設置され、くうの行動範囲はみるみる規制されていく。
最初はくうに噛まれたらどうしようという恐れはあったかもしれないが、かもしれないと言うほど、そんな感情はすぐに消えていた。
くうは私の特別だ。我が家を楽しそうに探索する無邪気なくうがとても可愛いかった。
生き物全般苦手だが、くうだけは抱っこ出来る。
痛くないかなと最初はおずおずと、2本の前足の付け根をそっと持ち上げ、後ろ足を折りたたんでお尻を右手に乗せるように抱く。
重くはないが軽くもない、くうの体重が腕にのしかかった。
私にはくうの機嫌が分かる。
眠いときや興奮状態のときは、抱っこをすると「グルルル」と牙をむき出しにして怒るから、遠慮しておく。
ただ、怒っても本気で噛んだりはしないので、怖いとは思わなかった。
たまに本人も力加減を誤ったのか、牙が手に刺さることもある。そんなときでも、
「痛いよ!」
と半分笑って反論出来るくらいだ。
中学生だった私は、近所の公園でよく友達と遊んでいた。そこに一度くうも連れて行ったことがある。
前足と首を通してリードを付けると、くうは長い毛を靡かせ、今か今かと玄関で飛び跳ねる。外へ飛び出すと前へ前へと小さな身体で私を引っ張った。家のすぐ横の坂を3分ほど登ると、ブランコとすべり台だけの小さな公園に着く。
友達は先に着いていて、お決まりのブランコに腰掛けていた。
「よっ」と声をかけ、私はくうをブランコの柱に繋ぎ、友達の隣に同じように座った。
私達は公園でブランコに座りながら、いつものようにとりとめのない会話をする。
ふとくうの方を振り返ると、くうが公園の砂をジャリジャリ食べているではないか。
「ちょっとくう!何やってんの!」
私は慌てて、口の周りを灰色の砂まみれにしたくうをとめる。友達はひゃひゃひゃひゃと笑う。
日が暮れて風が冷たくなると、友達にばいばいと挨拶をし、お互い反対方向の家に向かって帰った。
その日の夜。くうはいつも夕飯前にうんちをするのだが、その日のうんちを私は今も忘れない。
いつものように、茶色くフニャフニャした細長いうんちではなかった。
灰色の細かい粒子の塊で、触るとほろほろと崩れる。
先程食べた砂利がそのままうんちに出てきたのだ。
「ううぇえええ」と唸り、涙目になりながら、やっとの思いでそのうんちを処理する。
その砂利うんちがトラウマで、私はもう二度とあの公園にくうを連れて行かないと誓った。
公園ではなく、お買い物に連れていったこともあったっけ。
その日はくうと一緒にお菓子を買いにいこうという気持ちになった。
今日も今日とて散歩が楽しくてしょうがないくうにつられて早足になりながら、10分ほどの道を歩く。
スーパーに着くと、出入り口の横の柱にリードを結びつけて、くうを繋いだ。
「ちょっとここで待っててね。大人しくしててね。」
私はくうにそう言うと、スーパーに入ってお菓子コーナーへ向かう。
だが、いざ買い物をし始めると、店の前に置いてきたくうが無事か途端に心配になった。怪しい人に連れ去られていないか、リードが外れてどこかに走り出していないか、近所の悪ガキにいじめられていないか。悪い想像が駆け巡り、一瞬で買い物どころではなくなった。
やばいやばい、急がないと。普段はなけなしのお金で買えるお菓子を時間をかけて吟味する私だが、適当に100円ほどのチョコレートを手にし、レジへと急ぐ。
こういうときに限ってレジは並ぶものだ。
私は気が気じゃなく、目一杯背伸びして外を確認した。くうらしき毛もじゃがうろうろしているのが見える。
お会計中も何度も外を見て、くうがいるかチェックした。
レジのおばさんに怪訝そうに横目で睨まれる。
そんなこともどうでもよく、支払いが終わると出入り口に一目散に駆け出した。
駆け寄ると、くうは舌を出して尻尾を振り、同じ場所で何度も円を描くように回った。
「ああ、良かった!」
私は泣き出しそうになりながら、柱に結びつけたリードを外す。
世にも恐ろしい買い物タイムが終了し、もう二度と買い物には連れて行かないとこれまた胸に誓った。
くうが体調を崩すことが多くなったのは、くうが6か7歳で私が高校生の頃だったか。
ある日の夜、突然あらぬ方向に向かって吠え、リビングを走り回り、いつもとは違う声で鳴き出した。具合が悪すぎてパニック状態だったのだろうか。
どうしていいか分からず暴れるくう。
私もどうしていいか分からず半泣きで「どうしようどうしよう!」と叫んだ。
ママはくうを捕まえようとして、「くう落ち着いて!」と言って追いかける。
しばらくしてくうは正気を取り戻したが、ママと夜間病院に連れていくことにした。
私はくうを抱えて助手席に座り、ママの軽自動車で真っ暗な道を進んだ。
くうが楽な姿勢になっているか気にし、道中ずっとくうの顔色を伺う。
「低体温の症状が出ていますね。今夜は入院しましょうか。」
夜間病院の獣医にそう告げられ、くうは温かそうなオレンジの陽が灯る部屋に入れられた。
夜間病院とは素晴らしいもので、一晩にして10万円くらいが飛ぶ。
翌朝早く、ママと再び病院に行くと、くうは少し回復した様子。
くうの命はお金には代えられない。私はほっとしてくうを抱きかかえた。
だが、思えばこの頃からくうの様子がおかしくなった気がする。
それから数ヶ月後のある日、くうがベッドから起き上がってこなかった。
身体に力が入らないのか、脱力している。
明らかに様子がおかしい。
頭もベッドから下にずり落ち、呼吸も浅い気がする。
「くうどうしたの?」呼びかけてもピクリともしない。
抱きかかえると、身体全体が重力に逆らえませんとばかりにスライムのようにずり落ちる。
「ママどうしよう!くうが溶けた!」
「ええ!ほんとだ!」
ママと急いで近所の動物病院に向かった。
「くうが死んだらどうしよう」くうを抱える手が震える。
動物病院では、やはり低体温の症状が出ているということで、入院が必要だと言われる。
不安げなくうを残し、私達は家へ帰ろうとした。
しかしその道中に、動物病院から電話がかかってきたのだ。
「くうちゃん危ない状況で、峠となりそうです!」
私達はすぐに動物病院へUターンする。
道中私は涙が止まらず、ひたすら神に祈り続けた。
お腹が痛いときと家族が体調を崩したときだけ呼び出される、私の神様。
「どうかくうが死にませんように」何度も唱えた。
鼻水と涙をだらだら流しながら病室に入ったら、そこには尻尾を振ってぴんぴんしているくうがいた。
「なんか回復したみたいです。」
若い男性の獣医は苦笑いしながら、くうを差し出してきた。
峠とは何だったのか。私の涙の祈りはなんだったのか。
だがくうが元気ならなんだっていい。
私はくうを抱きしめて家に連れて帰った。
その後、そこの病院にくうを連れて行くことは二度となかった。
その後も、度々血尿をしたり血便をしたり震えが止まらなくなったり、体調を崩すことが続いたくう。
ママは少し離れた違う動物病院にくうを連れていった。
そこの獣医さんがまさに神様だった。なんとくうの体調不良の原因を突き止めてくれたのだ。
くうが診断された病名は、アジソン病。副腎皮質がうまく働かなくなってしまう病気らしい。
出術などは必要なかったが、それからくうは毎日お薬を飲むことになった。
お菓子の中に小さなお薬を練り込むと、くうはぺろっと食べる。
そのお薬を飲むようになってからくうの体調は落ち着き、以前のように元気になった。
素晴らしい獣医さんのお陰だ。本当にありがとうございます。
元気になったくうは、年をとったとは思えないほど毎日騒がしかった。
くうは靴下とかスリッパとか、特に臭いものが好きだ。
よくパパや弟が脱ぎっぱなしにした靴下を咥え、そそくさと早足で絨毯がある方へ持って行った。そして汚い靴下を置き、その上にひっくり返るようにして自分の背中を押し当て、身体を擦りつけていた。
「ちょっと、臭いから勘弁してよ」
「パパの靴下そんなに好きか?」
みんなその姿に何度笑わされたか。
くうはあんまりお利口ではないけど、ちょっとだけ日本語が分かる。
おやつを持つと、なぜかすぐくうにバレてしまい、
「おやつくれるの!?」と目を輝かせ、尻尾を振って「わんわん!」と吠えながら付いてくる。
「おすわり」「お手」「おかわり」「タッチ」「伏せ」「待て」の一連が出来たらおやつをもらえる決まりだ。
たまにパパがすごく長い「待て」をして、全然「良し」って言ってあげないからかわいそうだった。くうは「待て」の間、おやつとパパの顔を交互に見つめて、今か今かとそわそわする。
ちゃんと「良し」って言われるまで餌を待てていたね。待てない時もあったけど。
くうは「かわいいね〜」と褒めらると、嬉しそうに尻尾を振り回しながらくるくる回る。
「そうでしょ、かわいいでしょ」と言わんばかりにお尻をふりふりして上目遣いで見上げてくる。
でも
「くうってほんとおばかさん」と言うと、真顔になって首を斜めに傾げる。右に45度曲げ、その次に左に45度曲げて、「何言ってるかワカラナイ」という顔をして見せる。
トイレじゃないところにおしっこをし、ママに怒られたときも、首を右に左に曲げてすっとぼけた。
都合の悪いことは首を傾げてワカラナイことにする。
本当は少しだけ分かっているくせに、都合よくワカラナイ振りをする天才だ。
実はくうの口は結構臭い。
シャンプーしてから時間が経つと、体臭も結構キツくなる。
名状しがたい匂いだが、納豆に近いかもしれない。
尻尾をふりふりしながら近づいてきたくうから、ぶわっと香ってきた匂いにたまらず、
「くう臭い!」と言うと、ちょっとだけ首を傾げて、それ以上近寄らず少ししょんぼりしたように立ち尽くした。
やっぱりひどいこと言われているって分かってたんだなあ。
私が大学生になったとき、おばあちゃんとおじいちゃんが田舎の家を引き払い、同じ家に住みだした。
今までは、日中私や弟は学校、ママとパパは仕事で家にはくう一人だった。だが、今度はおばあちゃんが家にいる。
昼間遊んでくれる人が出来たので、くうはすぐにおばあちゃんに懐いた。おばあちゃんはくうの大好きランキング1位を瞬時に勝ち取ったのだ。
おばあちゃんは料理が好きで、台所に立っていることが多い。
くうはいつもそれをバリケードの外から眺めていた。
おばあちゃんが台所から自分の部屋に引っ込んでも、くうは台所を見つめ続ける。
「もうおばあちゃん居ないよ?」そう話しかけてもピクリともしないくう。ちょっとだけジェラシーだ。
そんなくうでも、私のことを気にかけてくれることもある。
私が落ち込んで、ストーブの前で体育座りでちょっと泣いているときなんかは、そっとそばに来てくれた。
「お姉ちゃん大丈夫?」ってこっちを見て、そっと横に座っていてくれた。
くうはちょっとばかだけど、ちゃんと分かってる。
くうはリビングの小上がりになっている小窓のそばがお気に入りだった。
いつもそこで日向ぼっこをして、外を見ている。
誰かが通り過ぎると、その度に全力で吠えてバカ丸出しで恥ずかしい。
存在を外にアピールするものだから、近所のおばさまたちはくうを認知していた。近所迷惑で本当にごめんなさい。
私は社会人になって結婚し、家を出た。
くうのいる実家から自宅へ帰るとき、いつもくうはその小窓から私を見送ってくれた。じっと静かにこちらを見つめるくう。
私はくうが見えなくなるまで、ばいばいと手を振ったものだ。
久しぶりに実家に帰るとき、くうは私のことを忘れているかなと不安になる。
だが、すぐいつものように尻尾を振って駆け寄ってきた。
私とくうは寒がりなので、ストーブの前がお決まりの遊び場だ。
私がストーブの前に行くとくうも「構って構って」と早足で近寄ってくる。期待に応え、もみくちゃにくうを撫で回した。
実家に帰る頻度が減った分、私の携帯電話のアルバムにくうが出てくる頻度も減っていった。
「くうが立てなくなった。今日誰も病院に連れて行けないんだけど、お姉ちゃんいける?」
ママからの連絡。私は車を運転して実家へ急ぐ。
久しぶりに会ったくうは、とても憔悴していた。
おまけに具合が悪いのかすこぶる不機嫌だ。立てない上に、目は白く濁ってほとんど見えていないようだった。
あれ、くうってこんなによぼよぼだったっけ。前に会ったのはいつだったかな。
思い出せず写真フォルダを遡るが、くうの写真が全然ない。
知らない間にくうがこんなに歳をとっていることにとてもショックを受けた。
くう、なかなか会いに来れてなくてごめんね。私は心で謝る。
病院に連れて行くと、満員で長いこと待ちそうだった。
車で小1時間ほど待つ。窓を開けると風が心地よい、春先の暖かい日だった。
くうにチュールを舐めさせたりしていたら、病院から電話が入り、病室へ向かう。
5畳くらいの四角い白い部屋に、ショートカットの若い女性の獣医さんが立っていた。
獣医さんはくうの足を触り、
「関節が外れてるのかも。」
と、くいっと後ろ足の付け根あたりを捻り上げる。
その瞬間、くうが突然立ち上がった。
と同時に、立ったはずみで立派なうんちがぽろぽろと診察台や床にこぼれ落ちた。
「わあっ」と驚く獣医さんと、「わあごめんなさい!」と謝る私。
くうはうんちなんて出ていませんという顔。
「健康的なうんちだね!」
獣医さんに褒められ、私達は笑った。
絆創膏だらけの獣医さんの手が、とても輝いて見えた。一瞬でくうの足を治す神様の手だった。
足が治っても、しばらくは安静にとのこと。
次の日、くうが心配だった私は再び実家に行った。
くうはいつものように外を見つめ、アゴを地面につけて伸びるようにして窓の側で日向ぼっこをしている。白内障になってしまったくうに外の景色が見えているのかは分からないが、陽射しのあたたかさを感じるのだろうか。
私もくうの隣に座って、読書をした。
少し開けた窓から入る穏やかな風が、カーテンを揺らす。庭では小鳥がチュンチュンとステップを踏みながら鳴いている。
私は横で目を細めてうとうとしているくうの小さな頭をそっと撫でた。
くうと二人きりで過ごす時間なんて、最近あっただろうか。永遠にこの静かな時間が続けばいいのに。
それからはなるべく実家に帰って、くうの写真をたくさん撮るようにした。
目が見えないくうは、私がいそうな気配だけ感じて、「ワン、ワン」と吠える。そこにいる?とでも言うように、不安げにうろうろキョロキョロしている。
安心させたくて、「ここにいるよ〜」とくうを撫でた。
くうは私の匂いを嗅いで存在を確認すると、安心したように尻尾をふり手を舐めたり身体を擦り付けたりする。
くうは着実に老いていった。
黒い毛が多く凛々しかったが、だんだん白い毛の方が多くなり柔らかい顔になった。
目は白く濁りあまり見えていない。眠りから覚めた後は特に見えづらいのか、よたよたと歩いた。
耳も遠くなった。前は車の音が聞こえるだけで「帰ってきた!帰ってきた!」と吠えていたのに、今は車を駐車しても、玄関をあけても、そばで「くう!」と呼びかけても、反応しない。
くうはだんだんと痩せていった。
前は撫でたらパンパンの肉が感じられたのに、今は皮と骨の感触だけだ。
毛もどんどん少なくなった。鬱陶しいほどふわふわしていた体毛は、今はまばらで赤っぽい地肌が見えている。
尻尾はふさふさで箒のようだったのに、毛がすっかり抜け落ち、神経なのか何なのか、赤黒い線のようなものだけが残った。赤黒い線は上に上がることはなく、後ろ足の間に巻き込まれる形に変形していった。
前は耳をつんざくほど高い声でうわんうわんと鳴いていたが、今はガラガラの小さい声が絞り出されるだけだ。
鳴けるだけまだ良かった。声を出すこともどんどん少なくなっていった。
歯は全て抜け、四六時中伸びた舌が口から出ている。
くうが着実に終わりに向かっているのは誰の目からも明らかだった。
くうが死んだらどこで焼くんだ、とおばあちゃんとママが言い合うこともしばしば。
「あと1週間もつかな」弟は毎日ぼそっと言った。
それでも、くうはかわいい。
今年の冬は一段と寒かった。
毛がないくうは終始身体を小刻みに震わせている。足を変な風に曲げてストーブの前に座りこみ、動かない。
見るに堪えず、毛布をかけたり、服を着せたりした。
終始朦朧としているくうを前にして、今のうちに伝えておかなければと思った。
震えるくうを暖めるように私はふんわりと腕で包み、「くう大好きだよ」とくうにだけ聞こえる声で囁いた。
くう、大好きだよ。今までも、今も、これからも。
痩せ衰えても、ふわふわじゃなくても、目も耳も機能してなくても、舌が出しっぱなしでも、くうはいつでもとってもかわいい。
ずっとくうはくうで、私はくうのことを愛してる。
「くうが、そろそろかも。」
ママから連絡がきた。
すぐに会いに行きたいが、そういう日に限って仕事が終わらない。
結局仕事が終わったのは夜10時過ぎ。
くうがいる実家には帰れず、最寄駅から自宅までの暗い道を一人歩いていたとき、突然くうのことが思い出されて、自然と涙がこぼれた。真っ暗なのをいいことに、ぼろぼろ泣きながら家に帰った。
家に着いた瞬間、くうが永眠した知らせが届いた。
くうのことがふっと思い出されたあの時。くうが旅立ったタイミングと同じだった。
くうは最後に、会えない私に挨拶しにきてくれたのもかもしれない。
私は自宅で一人わんわん泣いた。
最後に会いに行けなくてごめんね。くう。
目が真っ赤に腫れるくらい涙が出るし、皮膚がむけるくらい鼻水が出た。
大切な存在がいなくなる経験は、人生で初めてだった。
くうちゃん。くうちゃん。会いたいよ。
お葬式をするとのことで、次の日の朝早くに実家へ行った。
実家に駆けつけて、くうの顔を見た。
目を閉じて身体を丸めている様子は、まるで寝ているかのようだった。
「本当に死んでるの?」
信じられず、くうの頭を撫でた。
とてもとてもひんやりしていた。死体とはこれほどまでに冷たいのかと驚いた。
あんなにいつも暖かかったのに。抱きしめると確かに温もりがあって、きつく締めるといやいやと暴れだして、確かに生きていたのに。
あまりに冷たすぎる。
ふとベッドの下を見ると、保冷剤が敷き詰めてあった。
腐らないようにおばあちゃんが保冷剤を周りに置いていたらしい。
だからこんなに冷たいのかと納得したが、それが死の冷たさであることに変わりはなかった。
火葬場に連れて行くためにくうを抱き抱えると、たまらずにまた大粒の涙がこぼれる。
火葬場に着くと、小柄なおばさんが出てきた。穏やかに、私達の気持ちに寄り添うようにお見送りの準備をしてくれた。
くうを籠に入れ、お気に入りのサッカーボールや家にあったおやつなどを一緒に添えた。たまたま家に置いてあった、私達家族が写った写真も側に挟んだ。おばさんに色とりどりなお花を渡されて、お花も周りに添える。
カラフルなお花に囲まれたくうはやっぱりとても可愛らしかった。
「それでは、お別れとなります。」
おばさんがそう言い、焼却炉に籠ごとくうを入れる。
くう、またね。いってらっしゃい。
小さな体のくうが一人で焼却炉に入っていく。
くう、一人で大丈夫かな、と瞬時に思ってしまう。今までくうを一人でどこかに行かせることなんてなかったのに、今回ばかりは付いていけないんだ。
気をつけてね、くう。いってらっしゃい。
その日の空は晴天だった。薄い青が水平線の向こうまでどこまでも続いている。
その青の中を、火葬場の細長い煙突から出た白い煙が一直線に上がっていき、空と一つになった。
くうの名前は、空と書く。
私たち家族はみんな名前が漢字1文字だ。だからくうの名前も、空。
くう、名前の通りに、いま本当にお空となったんだね。
くう、もう寒くないかな。もう震えてないかな。
ちゃんと目は治ったかな。みんなのこと空から見えてるかな。
みんなの声は聞こえてるかな。一人で寂しくないかな。
気をつけて。元気で。
私がいつかお空に行った時、また会える。
そう思ったら、死が少し怖くなくなった。死んでも寂しくない。くうに会えるなら。
また絶対に遊ぼう。
また絶対にぎゅーってしよう。
あれから数日が経つ。
いまだに実家に帰るとき、無意識にくう元気かなあとくうに会えると思ってしまう。
それから、くうはもういないんだ、と思い出してまた視界が滲む。
実家のいたるところに設置していたバリケード。もうそのバリケードは撤収したのに、まだあるかのように自然と体が障害物を跨ぐような姿勢をとってしまう。
きっと、おばあちゃんは日中くうに話しかけちゃったり、ママはスーパーのペットフードコーナーをチェックしちゃったりしている。
それでも、時間がたってよく寝ると、私たちは新しい日常に適応していくのだろう。
くうはいつだって自分の欲望にまっすぐで、余計なことを考えず一瞬一瞬をただ生きていた。
みんなが難しい顔をしていても、なんのこと?というように首を傾げてすっとぼける。
それがくうの強さだった。
生きることに意味とか理由とかいらない。
ただ生きているだけでみんなに愛された。
そんなくうの生き方を尊敬している。私もくうみたいに真っ直ぐに生きたい。
死んだら虹の橋を渡る
あの世でまた会える
生まれ変わってどこかで元気に遊んでる
死んでからどうなるか、そんな風にいろいろ言われているけれど、私には死後のことなんてこれっぽっちも分からない。
信じたい信条も信仰もない。
だけどこれだけは言える。
くうが死んでいたって生きていたって同じように愛してる。
私がくうを愛している事実はこれまでもこれからも変わらない。
くうと過ごした16年の記憶がどんどんあやふやになってしまっても、愛する気持ちは一生消えない。
私は今日もあの頃と1ミリも変わらない気持ちで、
くうだいすきだよってくうにしか聞こえない声で伝えている。
もし応援いただけるようでしたら嬉しいです。執筆活動のためにありがたく使わせていただきます。これからもたくさん物語を書いていきたいと思います😊