裏道
最近、散歩の楽しさをようやく分かってきた気がする。楽しさは裏道にあると思う。
僕は何か目的地がないと散歩する気が起きない。本が好きなので、なにか面白そうな本はないかと探索するために、書店に行くことを目的として散歩をしていた。
幸い、僕の家の近所には書店が3店舗ある。2日に1度外出すれば1週間のルーティンが完成する。しかし、現在は自粛期間で気軽にお店に立ち寄ることができない。そのため、新たに目的を作らなければならなかった。
毎日散歩をしないと、一日中家にいることになってしまい、体を動かせない。目的無く散歩することにした。
最初は目標歩数を決めて、歩数を計測しながら歩くことを始めた。
今までは書店に行くことができればミッションクリアで、何歩歩いたかを気にした事が無かったため、新鮮だった。
とりあえず近所をぶらぶらとあてもなく歩く。1時間ほど歩き、歩数計を確認した。
7000歩弱しか歩いていない。
目標を1万歩と決めていたのだが、1時間で軽く1万歩超えると思っていた。冷静に考えてみれば1秒間に3歩弱の計算だ。そんなに早く歩けるわけがない。
目標歩数を下げると、自分に負けた気がする。
気持ちよく歩きたいのに、なぜ「負け」の烙印を自分で押さなければならないんだ! と思いながらも、うーん、なんか意外と疲れたから1時間歩けばいいのかも……なんて思い始め、歩数は二の次、今度の目標は時間を最優先にすることにした。
次の日、1時間を目標に歩いてみた。
すると、ある壁にぶち当たった。
どうしても時計から目を離せなくなってしまったのだ。
10分くらい歩いたつもりで時計に目をやると、まだ5分しか経っていない。もう少し時間を気にせず歩いてみようとする。もう15分くらい歩いただろうと時計を見ると、10分も歩いていなかった。時間の経つ遅さに疲労感が募り、30分経った頃、僕は家の前にいた。
僕は数字が嫌いなのか。数字という目に見えるものに縛られるのが苦手なのか。だから、理系科目は散々だったのか(?)と思いながら、どうしたものかと考えた。結局すぐ答えは出ず、そのまた次の日は、1万歩か1時間を「目安」に歩くことにした。
気を紛らわすためのイヤホンを両耳に突っ込んで、歩き始めた。時間や歩数を気にせず歩いた。
すると、気になる一本道を見つけた。こんなところに細い道があったっけ…? と思いながらも、文字通り、吸い込まれるように、無意識に足を向けた。
住宅街を先に進むと、二手に分かれる道が出現した。僕は道に迷うのが嫌いだった。僕の脳内には2つの選択肢が瞬時に浮かび上がる。
①来た道を引き返す。
②スマホの地図アプリを立ち上げ、知っている道につながっていそうな方を進む。
そして僕は、この2つの選択肢のどちらも選ばなかった。
自分の勘を信じ、先へ進んだ。自分の勘は当たることが少なく、自信はなかった。それでも勘を頼った。
選んだ道は進めども進めども、住宅街の中を通っている。迷っているのではないかと不安になる気持ちが顔を出し始めた。今からでも引き返せば間に合う、とも思った。
それでも僕の歩は止まることを知らなかった。どんどん前へ進んでいく。
どうしてだろうか。
きっと心のどこかで、ワクワクしている自分がいるのだと知った。
知らない場所に行ったり、未体験なことをするとき、人はワクワクする。それを僕は散歩でその気持ちを感じていた。細い道は車だと一方通行に気を付けなければいけなかったり、すれ違うのにも気を遣う。その点、徒歩だと一方通行を気にしなくていいし、すれ違うことに神経をすり減らさなくていい。最低限のマナーと交通ルールと思いやりを持ちながら歩けば、散歩もなかなか楽しめることに気づいた。
その日から、僕は散歩で見つける裏道が好きになった。一日一回裏道を探索することを散歩の楽しみとしている。
裏道の好きなところが、ワクワクを感じること以外にも次々と出てきた。
イヤホンで音楽を流して、ノリノリで歩ける点。
イヤホンで深夜ラジオを聴いていると、面白い部分があったとき、気兼ねなく笑える点。
面白いことが頭に浮かんだとき、ブツブツ独り言を言いながら、小さいメモに書き取れる点。
どこかの家から流れてくる美味しそうな料理の匂いを嗅ぐことができる点。
季節を感じさせるような風の感じ。
そして、雑踏から逃れられる点。
この理由が、僕がたどり着いた裏道探索を好きな最大の理由である。
車がバンバン通る道に沿って歩いたり、バス通りを歩くと、心の中で砂嵐が吹くように、ざわざわして落ち着かないときがある。そうすると自然に裏道を欲し、近くに気になる裏道がないかと探してしまう。そしてどこに続いているか分からない道と出会い、歩くと、自然と心が落ち着いている。
裏道にリラックス効果を見出した僕は、散歩のプロになれた気がした。
つい先日も気になる裏道を見つけ、歩いていると、女の子2人がお父さんのスマホを真剣に見つめていた。
女の子の格好は、自転車用のヘルメットに、ひざあてを付け、横には新しい水色の自転車があった。おそらく、補助輪を取って自転車に乗る練習をしていたようで、お父さんがその姿を動画に撮って、娘たちに見せていた。
2人の女の子の食い入るような目線の横を僕は通り過ぎた。僕はその時、心が動いた。
女の子の目を見た時、僕は最近、こういう目をして物事に対して向き合っていただろうかと思った。なぁなぁで物事を進めていた気がする。
裏道を歩くと、思いがけない気付きを得る。大事なことをお父さんのスマホを見つめていた女の子に教えられた気がした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?