
おひなさまは、一大事。
小学生の頃から、ひな人形が好きだった。
お雛様とお内裏様、桜橘と菱餅。
そんなシンプルなものだったけれど、それが床の間に飾られているあいだ、私は一日に何度も和室に通った。
学校から帰れば和室に上がり、じーっとお雛様の顔を見る。
オルゴールもよく鳴らした。
名前が書いてある、扇子型をした木製のやつだった。
たまに手を合わせて、何かごにょごにょお願い事をしたような記憶もある。
なにせあの華やかで精巧で、細部に色々な意味が込められた飾りが、丸ごと自分の幸福を祈るために存在しているらしいことが、こそばゆくて嬉しかった。
ひな人形を飾るとき、母はいつも、いつになく本気だった。
いそいそと手袋をつけ、大きな段ボールを取り出し、何にこんなに時間が掛るのかというほど時間が掛かる。
「まだ?」
「もうちょっと」
「まぁだ??」
「うーん、もうちょっと……」
そんな会話を毎年のように繰り返した。
そばで見ていると、つい何かしら触りたくなる。
そして毎年同じように叱られ、別室に追い出される。
しばらく経って戻ってみると、それでも母はまだ、お内裏様と睨めっこしている。
毎年必ず繰り返される母の姿もひっくるめて、そういう年中行事のように思っていた。
◇
ところで令和のおひなさまは、ものすごくお洒落で可愛い。
そのことに気づいたのは、4年前に息子を出産し、兜を選んでいるときだった。
兜と雛人形は同じ会社で作っていることが多く、ついひな人形のページも覗くようになった。
娘が生まれたら、どれを買おう。
可愛い服を着せたいとか、髪を結んであげたいとか、女同士でパフェが食べたいとか。
もし娘ができたらと、おまけのように楽しみにすることが母親にはあったりすると思うけれど、
私の場合はお雛様を飾りたい、というのがそれだった。
気楽な妄想から一転、娘を授かっていざお雛様を買うことになると、だから本当に迷った。
初節句まで時間があったこともあり、ありとあらゆるお雛様を、店でもネットでも探した。
最近はマンション住まいなども考慮されてか、小型だったり、ガラスケースに入ったものも多くなってきている。
それはそれで可愛いけれど、私はどうしても大きいものが欲しかった。
出したい。
お雛様を出したい。
母のように、毎年せっせと、いそいそと。
娘の無事と成長を祈りながら、一つひとつ慈しむように、時間をかけてお雛様を出したい。
悩みに悩み、調べに調べ、年末が過ぎ、正月が明けた。
調べれば調べるほど、雛人形は奥深かった。
頭を作る人と衣装部分を作る人が異なり、それだけで山のような種類が生まれる。
さらに全体の雰囲気を決めるセットも会社ごとに特色がある。
出資してくれるという父からは「まだ買ってないんか」と笑われ、
夫には、毎日のようにひな人形をLINEで送り付けて意見を求めた。
最後には「もう任せた。決めていいよ」と匙を投げられ、それでも私は決めきれなかった。
いいなと思うものはいくつかあった。
でも本当は、他の倍ほどもする、作家物のおひなさまが気になっていた。
美しい。でも圧倒的に高い。
1月が過ぎ、2月の半ば。
このままではだめだ、いよいよ決めようと心に決め、
息子を保育園に預けたその足で、一番気になっているお雛様がいる宇都宮の人形店まで、片道100キロを車で走った。
気がそぞろだったのか、免許を取ってこの10年で初めて、農道の車幅制限のバーにミラーをぶつけてギョッとした。
後部座席には娘が寝ている。すやすやと。
改めてハンドルを握り直し、なんとか店に辿りついた。
息子のお迎えを考えると、雛人形を見る時間は1時間ほどしかなかった。
店内にはありとあらゆるお雛様がいた。
ひとつたりとも見逃すまいと目を皿のようにして歩き回り、どうしようもなく惹かれたのは、やっぱり例の、作家物のコーナーだった。
清水久遊。
女流の着付け師だ。
清水久遊のシリーズは、とにかく十二単が段違いに美しかった。
一枚一枚の着物が、僅かな弛みも、ずれもなく重なっている。
色合いも、古風なのにどこか新鮮みを感じ、全体に清冽な印象があった。
女雛には、工房近くの神社のお守りも添えられている。そんな作家の、温かい気持ちも好ましかった。
そういうことを思い立つような心の持ち主によってつくられたお雛様を、傍に置きたい。
まあ、車で100キロ走るくらいである。
来ると決めたときには半分くらいは、心は決まっていたのだった。
それが実物の圧倒的なことを見て、決心がついた。
会議の合間に電話をしてくれた夫に話し、一応確認をした。
金額はいいからとにかく無事に帰ってきてくれと、夫は電話で繰り返した(ごめん)。
残り少ない時間の中で、清水久遊作品の中でも、迷いに迷った。
最後は太宰府出身の夫にちなんで、梅の金屏風と梅の着物のものに決めた。
(京蒔絵の手書きの屏風、手刺繡、というものも、とにかく綺麗だった…)
決済をするときに、さすがにちょっと動悸がした。父からのなけなしの出資に、自分の1ヶ月分の手取りを丸ごと追加するような金額。
さすがにやり過ぎただろうか。
帰りの運転をしながら、ずっと心臓がバクバクしていた。
宇都宮に行ったのに、餃子どころか、昼ごはんを食べる余裕すらなかった。
巨大なトラックがバカみたいに多い、3車線の国道の真ん中を、とにかく安全にと走って帰った。
風が強く、砂ぼこりがそこらじゅうで舞い上がっていた。
運転席にさしこむ冬の夕陽が眩しかった。
娘は行きも帰りも、よく寝てくれた。
◇
今年も節分が終わったあたりから、私はカレンダーを見てはソワソワしていた。
友引か大安。何より晴れた日。
そしてできれば子どもたちがいない間に、出してしまいたい。
タイミングが合ったのは2/14、バレンタインの大安だった。
在宅のお昼休みに入るなり、いそいそと和室を片付ける。
注文住宅を建てるとき、リビング横のこの畳スペースに、飾り棚を作ってもらった。
ただ雛人形と兜を、飾るためだけの棚だ。
雛人形の台座のサイズを設計士さんに伝えて、納まるように作ってもらったオリジナルの棚。
戸棚の奥から段ボールを出し、手袋をはめる。
飾り台を出し、屏風を立てる。
屏風が左右対称になるよう、何度も何度も調整する。
お雛様を出し、お内裏様を出す。
お雛様に扇子を持たせて、その紐の行方をどうするのかすこし迷う。
お内裏様に帽子をかぶせて、その紐をあごに結ぶのにまた苦心する。
手袋をしているのでとにかく結びづらい。でも手垢から劣化すると言われれば、この手袋を外すわけにはいかない。
やっと帽子をかぶせた後、刀についている紐の処理にまた迷う。
調べると腰に巻き付けるもののだと分かり、また巻き付けるのに苦労する。
そんな調子で、出し終わる頃には1時間弱かかっていた。はぁ。時間が掛かるわけである。
慌てて冷凍うどんをかき込んで、仕事に戻った。
◇
午後、仕事の合間に、ついつい何度もお雛様を見に行った。
日当たりのいい家だけど、棚は奥まっているので直射日光は当たらない。よかった。
ああ。
涼やかな顔をしてらっしゃる。
優しくて凛とした、いいお顔をしてらっしゃる。
傍らには、娘の名前と誕生日が彫られた名札。
きれいな字面だ。
この名前も、悩みに悩んでつけたのだ。
娘を守ってくださいね、と、そのうつくしいお雛様を前に、何度も念押しをする。
うちの大事な大事な娘を、ずーっと守ってくださいね。お願いだから、守ってくださいね。
苦しみも人には大事な養分だと、頭ではわかっているけれど。
子どもにはとにかく全ての苦しみが降りかからないようにと願ってしまう。
行き場のない、もどかしいこの感情を、お雛様は全てお見通しの顔で鎮座している。
娘が成人しても、結婚しても、しなくても、
今の私より年上のおばさんになっても。
私が生きている限り、「娘を守ってくださいね」と願いながら、私はこのお雛様を毎年出すだろう。
年に一度の祈りの儀式として、ひとつひとつに願いながら。
成長を喜び、感謝し、行き場のない愛情を湛えながら。
やたらと時間をかけて、気合いを入れて、出すだろう。

いいなと思ったら応援しよう!
