いつも右手にもっている言葉
「座右の銘にしてるものってある? 」とかって聞かれると、自分にはそんな大層なものなどないよなあ
……って、いつも感じてしまいますσ(^_^;
人生を足掻くだけ足掻いたさきに出会えるものであって、自分の覚悟として確立できうる言葉、って感じの性格のものじゃないかしら?って思ってしまうのです
……歴史に名を残した偉人たちのように。
だからなんとなく、私が座右の銘を持つだなんて
烏滸がましいというか、私の人生においては縁遠い
ものっぽいなあーとかって思ってたりするのやも。
偉人になれるような志は持ち合わせてはいないですけれど、まあ、偉人たちのように味のある人生を送ってみたい気はします(笑)
そしたらもしかすると、自信を持って他人に言える
ような座右の銘に出会えたりとかして……
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出会うべくして出会った一冊
でも……。
子供の頃から自分の身に深く刻んだものは持っていますですよ。それは自分が子供ながらにこの先の人生を生きていくために、心に深く深く刻んでおかなきゃならないって思ったものだったから。
本当に自分の生存のために必然的に手にすることになった言葉なわけで。
だから座右の銘というほど高尚なものではなくて、私にとっては大事で肝心な言葉ではあっても座右の銘とは性格が違うですね。
何かへ触れるたびにこのNote内の記事でも書いていることですけれど、生まれながらにして持った音視という神経障害のせいで、子供時代のある時期は周りの大人や子供達から〝変わった子〟扱いされて……
そのたびに
「俺だってお前らと同じ人なんだ!なんでそんな簡単なことも分かんないんだよ!そんなふうに言われたら、そんなふうに見られたら、そんなふうに扱われたら俺だって普通に傷つくんだってこと気づけよ!」
って心の中でメチャクチャ張り裂けるくらいに叫んだし、小学校低学年の一時期は担任の先生さえも信じられなくて登校拒否にもなりましたし……
こういうのを黒歴史って云うのかしら?(笑)
小学校を不登校していたそんな時期に、新潟市立図書館の優しいお友達の司書さんから薦められて読んだのがサン=テグジュペリの『星の王子さま』でした。
キツネの云う「かんじんなことは・・・」という言葉の意味を司書さんから教えてもらったりとかもして。
その司書さんから
「私には見えてるよ。君のこころ。そんな私から君へのアドバイス。君の目は本当のことを見ることが出来る目だよ。ほかの人には見えなくても君には見えるものがあるんだったら、君が見ているものを信じるんだよ。聴こえるものを信じるの。そしたら、自分のことをもっと信じられるから。誰の目からも見えてるものだけが本当のこととは限らないからね」
と言ってもらえて、
凄く気持ちが楽になったものです。司書さんのほうが余っ程、小学校の先生みたいだと思ったものでした。
忘れられない先生は誰ですか?と聞かれたら、
私は即答で司書さんだと答えます。
そして『星の王子さま』のキツネの言葉と司書さんのその言葉が、私の生きていくための芯というか支えになりました。
心が成長してからも自分の人生における無二の大切な言葉になりましたです。
自分の右手のひらを見るたびに強く
自分へ言い聞かせるように浮かんでくる言葉です。
⬇️小学生の頃、そのお友達の司書さんと私のこと。
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そんなこんなと過去の経緯があって、
1月21日日曜日の朝、目覚めたばかりのベッドの中でスマホの書く習慣アプリを開いたのでした。
その画面の左上に《海の底》というテーマが表示されていて……
── 以下、書く習慣アプリで投稿した内容 ──
ゾクッとした。
このテーマを見たとき、なんで知ってるの?
と思った。
いや、そんなことはない。
そんなことがあったら逆に怖いって思う(笑)
でもときどき、このアプリが表示するテーマを見ると
なんだか見透かされているような気になるのだ。
私には、この世で一番大好きな詩がある。
金子みすゞさんの《星とたんぽぽ》
いつ、どんなときもこの詩を言葉にしたくなるとき
私は声を出して、そらで暗唱している。
そんな、つねに自分と共にある詩……
この詩を中学生のときに初めて読んだとき、
私の愛読書『星の王子さま』に出てくる
キツネの言葉を思い出した。
幼いながらも〝とても大切な言葉だ〟と思っていた。