削れ行くいのちが目に見えそうで
痛い。すごく。
身体の中、全部。多分、どっかの内臓。或いは血管。
日常的に痛みを感じる様になって数週間が過ぎた。
こうなってようやく、自分が大きな病気に蝕まれている事実に納得する。
36歳の時に余命宣告をされ、2年が過ぎている。
宣告を疑うほど、私はそれなりに変わらない日常を送ってきた。
化粧をしたり、料理をしたり、子供と喧嘩をしたり、時々友達と食事をしたり、仕事もしてる。
でもやっぱり、全く変わらない、とは言えない事には気づいている。
少しずつ、本当にゆっくり、多分私の身体は蝕まれていて、日常的に痛みを感じる事が増えた。
横になったら少し楽だけど、若い頃から幾度もそんな状態で動いてきたものだから、痛みを抱えて息をあげながら、フライパンを振る事だって私には日常。
この先、病状の進行が見られたら、次は移植手術しか治療方法はないそう。
でも、私、もうゆっくり眠りたいよ。
若い頃から酷い人生だった。それでもがむしゃらになって抗ってきた。
「もういいんじゃないかな」
逃げでも後悔でもない、少しの満足感と共に、目覚ましの鳴らない場所で眠る事を望んでいる自分がいる。
子供の寝顔を見て、もう少し頑張ってみようと、自分を無理に奮い立たせて私は今、何とか立っている。
明日も明後日も、きっと来週も、この痛みからは解放されないだろう。
マグカップに入れた安物のワインを一気に飲み干して、束の間、痛みから解放されて布団に入る。
そして目覚ましのない明日を俄かに望むのだ。