irono

「タメになること」が言えない、軟コピーライター。今生まれた物語を、心のままに、書き留めてみる。

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最近の記事

思い出は溶けて、愛

23時。 リビングに一人。 テレビから小さく聞こえる郷愁メロディ。 膝の上で喉を鳴らす、猫。 今日は母の72回目の誕生日を祝うため、 両親と息子を連れて浅草を散策した。 天気が良くて、少し暑くて、スカイツリーまで歩いて、テラス席でケーキを食べた。 散りかけの桜は、初夏の訪れを匂わせる今日に似合っていて、母は何度も何度も足を止めて、楽しそうにスマホを景色にかざしていた。 造形作家を志していた私は、なかなか結果を出せず、社会生活にも馴染めず、つい数年前までひとり親で子供が

    • ゆっくり、死ぬ

      3年。 世界から色が無くなった瞬間。 今も鮮明に覚えている。 4月1日、新しい一年のスタートの日。 私が余命宣告された日。 入院していた。 主治医の異動で、新しい担当医と挨拶をするだけのはずだった。 なのに、その2日後には退院して、日本有数の病院を数件回ることになった。 暫くは生きる気力を亡くして、色のない世界を見た。 日常のふとした時に涙が出たり、やり場のない思いを夫と子供にぶつけたりしながら過ごした。 そして、常に死という概念に晒される事に慣れて、諦めの様な日々

      • 削れ行くいのちが目に見えそうで

        痛い。すごく。 身体の中、全部。多分、どっかの内臓。或いは血管。 日常的に痛みを感じる様になって数週間が過ぎた。 こうなってようやく、自分が大きな病気に蝕まれている事実に納得する。 36歳の時に余命宣告をされ、2年が過ぎている。 宣告を疑うほど、私はそれなりに変わらない日常を送ってきた。 化粧をしたり、料理をしたり、子供と喧嘩をしたり、時々友達と食事をしたり、仕事もしてる。 でもやっぱり、全く変わらない、とは言えない事には気づいている。 少しずつ、本当にゆっくり、多分

        • 指輪は食い込んでいない

          母の結婚指輪は薬指に食い込んでいて、どうやって外すのかな、と度々、疑問を抱いた記憶がある。 テレビで指輪の外し方について紹介していて、石鹸やらタコ糸やらを使っているのを見る時いつも、母の手を想像していた事もそれを物語っている。 電車に乗っている時も然り。 結婚指輪ってそういうものだと思っていたし、母親という存在は肥えていくものだとも思っていた。 世の中に疑問を持つ事すらを知らない、幼い頃の刷り込み。 一昨年、私は再婚して指輪をする様になった。 目立つアクセサリーは私の青白

          大人だから泣いていいとか

          おととい、祖母が他界した。 祖父母の類の中では、一番思い入れが強い祖母。 高齢者なりの色々は抱えていたものの、年齢からすれば(享年90)、要支援認定もされていない程にしっかりしていた。 元気だった!と言いたい所だけど、控えめでおとなしい性格だったせいか、元気という言葉が祖母には似合わないので、このくらいに。 秋田の小さな村の集落で暮らしていて、車椅子になった(のに、頭がしっかりしすぎている)祖父の面倒を見続けたこの10年程。 むつかしい性格の祖父は、なかなか外部の支援者

          大人だから泣いていいとか