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定住という概念を捨てた新しい生活スタイルの提案(脱農耕型社会と狩猟社会とのミックス)

 人類は、農耕文化を手に入れることで食料生産量が格段に向上し、多くの人口を養うことに成功した。

 だがこれは、定住という感情の鬱積というか、ドロドロとした内部抗争社会の始まりでもあった。

 移動を忘れた人類は、徐々にその地で腐っていくことが歴史的にあきらかとなった。

 なれば、農耕社会でありながら移動もする、これこそが新しい生活スタイルなのではないだろうか。

 例えば、同じ畑の世話をする人間が延々と同じ人間である必要はない。

 全国各地に同じようなコンビニサービスが受けられるのなら、農耕生産技術も完全マニュアル化し、誰がやってもそれなりの収穫が得られるのなら、同じ地に延々と定住することなく、さながら狩猟社会の如く、定期的に居住地を変える生活スタイルが農民であっても可能となるはずだ。

 それは他の仕事にも言えることだ。

 誰しもが子供の頃の夢で電車の運転手などを上げるが、実際に電車の運転士になれる人の数は限られているが、これを例えば電車の運転を完全マニュアル化して誰でも短期間の研修で電車の運転技術が身に付くようになれば、例えば3年ごとに交代とかでいろんな人が電車の運転士になれるわけである。

 今の日本の社会システムだと一度決めた職業を中々変えることは難しい。

 いくら子供の頃の夢とはいえ、電車の運転士を40年も続ければそりゃあきる。

 人としての大切な何かが失われたロボットのような老人になって、定年後廃人のようになって生きる未来が見える。

 そんなのは嫌だ。

 3年も運転士やったら、あーきた! 他にやりたい人いるでしょ? その人どうぞ~。

 ま、3年も夢のある仕事できたし、次の3年は誰もやりたがらないゴミ処理の仕事やってもいいよ~!

 みたいに、短期間でいろんな仕事を回るルーティンが組めれば、モチベーションも維持できるし、40年もゴミ処理の仕事をやるわけでもないから、社会に対するルサンチマンもなかなか発生することは少なくなるだろう。

 おかげさまで犯罪率も減少し、一生のうちに体験できる仕事の種類も増え、人生経験が豊富な、いろんなことを経験したかっこいい老人が増え、社会に活気があふれるのである。

 私は天才だなぁ!

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