【現代アート解説】なぜ、くしゃみをしないの? デュシャンWhy not sneeze?
現代アート好きなみなさんならこの作品名をきいたことがあるだろう。
そう、この作品の作者はみんなが大好き現代アート界の最大の問題児であるマルセル・デュシャンだ。
1921年に彼は「ローズ・セラヴィ」のサインをこの作品に記した。
デュシャンと言えば、『サインすればええんやろ?』という思想持ち主で、現代アートの始まりとされる未使用の便器、、、いや「泉」もこの手法の作品だ。
今回の作品も「泉」同様にとても難解さ極まりない、少々悪趣味すら感じさせる作品である。
ところで、「ローズ・セラヴィ」とは誰か?
デュシャンの女装バージョンの名前とされているが、、、
デュシャンは何を表現したかったのか、、
現代アートはわからない、、、
こう沼にはまったみなさんに救いの手を差し伸べようと思う。
この作品を私はこう解釈する。
「ローズ・セラヴィ」はデュシャンのもう一つの人格である。決してLGBTであるとカミングアウトした作品ではない。
どちらかというと多重人格に近いが、人生が困るほどの多重人格でもない。
例えば、みんなもこう思ったことはないだろうか。
『本当の私は違う』
この場合の本当の私は社会生活を行う上で出てくる人格とは別人格である、ともいえないだろうか?
社会生活をおくるために誰しもが『人格』を変えながら環境にうまく適応していく。
人間が生きていくためにしごくまっとうな行為なのだ。
マルセル・デュシャンの中にひとり、『ローズ・セラヴィ』という女性がいるという設定なのだ。
それをただ表に作品として世にだしただけのことだ。
人間がいつもしていること。
アートはいつだって人間を表現している。
では、題名にある「なぜくしゃみをしない?」のか。
それは『作品』だからだ。
『作品』の中にいる人物は『くしゃみ』ができない。
絵画や彫刻などの作品は予測不能な突然の動きや反応をつくれない。
絵画や彫刻は永遠の時を止めたままなのだ。
そのことを彼はこの言葉で簡潔に語ったのだ。
デュシャンは言葉の魔術師だ。
後世の人間はデュシャンのお遊びの言葉に翻弄されてここまで現代アートを盛り上げて楽しんでいるのである。
文 入呂葉
写真 カノン
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