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書くということ

今朝は読書感想文を書いてみる。


なんだかすこし長めの文章を書きたくなった…
そんな一冊を。



加藤諦三さん著書の『文章の書き方・考え方』。



(加藤諦三さんはラジオ番組テレフォン人生相談の先生です。)

本をすすめてくれたフォロワーさんはこれは文章の書き方というより生きる心構え、生き方そのものについて書かれた本だと話していて私も同じだと感じた。


受け取ったメッセージ。

・身の丈にあった文章を書くこと
・解釈よりいま自分は何をどう受けとめて感じているのか素直になること
・情報に心開くこと
・正解や正しさや"あるべき姿"を持ち込まない
・書く視点を高いところに置かない(そうするとどんどん自分がツラくなる)



どれも至極当然でもう知っていると思いそうだけど、行動に落としこめているかと問われたら耳が痛いし胸がヒリヒリする言葉ばかり…。

自分を高いものにしてしまうと(志の高さとは別の意)、それは自分で自分に岩を投げる行為で書けなくしているのだと。


「自分のことで精一杯な時には、自分のことで精一杯なように書けばいい。それを自分はもう自分のことはすんでいるというふりをするから、少し書くともう書くことがなくなるのである。」

「書けない人は実際の自分とどこか違った自分を、読む人に印象づけようとしている。書けないのは文章の能力の問題ではなく、心の姿勢の問題である。」(本文より)


自分の文章を書く、言葉と共にあるということをわたしは追及している。


そのためにも、たくさんの人が書かれた本や言葉に触れる時間を大切にしている。

それらを消費するのではなく、言葉との出会いのなかで生きていくことが何よりも大切だと思う。

「生きた言葉になっていない」それは演劇や朗読、ナレーションを学んだときに何度も言われたダメ出し。


生きた言葉にするということは、言葉を行動にしていくこと。


もっというならそのテーマを自分の人生のなかにどれだけ手繰り寄せることができるか。

「わかる」けど、日常の言葉にはなっていない言葉たち。

その言葉がいつか私の唇に宿る日を待ち侘びながら。

そのひとつひとつの扉を開いていく旅が人生そのものだと思う。

書くということは自分の在り方を見つめ直すこと。

だから自分を欺かないことがとても大切でそれは、加藤先生の言葉を借りるなら「心の底の立派でない部分を自分が見つめることができるかできないか」

それが文章を書ける、書けないの分かれ目なのかもしれない。

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