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1年が終わろうとしている。と、厄年についての話。

2023年が終わろうとしている。

自分自身のことだと、
2016年辺りからかな、
心身が休まる生活をしてこなかった。

2017年、2018年、2019年と
3年連続で引っ越しをしたり、
2019年はじめ頃から住んでいたお家も
2021年の夏に引っ越しをして
(春に引越しをしなければいけなくなり
信じられないほど慌ただしく各作業に追われたり)
2022年はそのバタバタの余韻をまだ
引きずっていたようなところがあったものの、
2023年はようやく色んなことや
心身が落ち着く年になるはずだった。

少なくとも10月まではここ数年で
1番落ち着いていた1年だったと思う。
11月以降の2ヶ月は自分にとって久しぶりに
しんどい時間を過ごすことになってしまったし
まだ一部継続中のものもあったりはするけれど、
これまでの色んな経験もあり、
何とか立て直してというか、
持ち直してきているのではないかと思う。
というか、友人などの力があって、
立て直すまでの時間が最短になっていると思う。
自分1人ではまだまだ何も立て直せて
いなかったのではないかと思える。

そんな日々を過ごす中でふと気づいた、
この数年を振り返ると
どうもわたしは11月と相性が悪いらしい笑
さらに言えば11〜12月と相性が悪い。
ここ数年に限っても、辛い出来事や体調不良に
悩まされた時期が11〜12月に特に集中していた。
自分の誕生月が含まれるのに悲しい話だ。

少し余談を書くと
実はもっともっと過去を振り返っても
11〜12月に病気の診断を受けたり、
ひどい時は診断書の日付が、
クリスマスイブだったこともある笑。


のだけれど、

実は猫を引き取ると決めた時期も11月だ。
確かにその時期ボロボロではあったが、
猫を引き取ったことそのものや
引き取るために12月に戦ったからこそ
1月に結果を出し正式に引き取れたわけで、
わたしにとってこれまでの人生で
1番良かったと思える決断と行動のひとつだ。

そう思い至ってふと気がついた、
これは「厄年の法則」と同じではないか、と。


ちょうど年末年始感のある話題にもなるので
かなーり長くなりそうだけど、書いてみようかな笑
興味のある方、お時間のある方は
お付き合い頂けたらとても嬉しいです。

ちなみにわたしは
厄年にお祓いなどを受けたことがない。
厄年でしょ?とお守りなどを頂いたことは
あるけれど、自分で厄年用のお札などを
買ったことすらない。
けれど、否定する気は全くないし、
個人的に神社仏閣は大大大好きだ。
厄年に興味がないだけで笑。
厄年に興味がなくなった理由も含めて
書いてみようかと思う。

厄年について色々と調べた時期があった。
大昔のことだけれど。


「厄年」
と聞くと嫌なイメージがあるかもしれない。

しかも「前厄・本厄・後厄」などと言い
3年間ほど災厄に見舞われるような「設定」だ。

更に言うと女性の30代は最悪だ。
31前厄、32本厄、33後厄、
35前厄、36本厄、37後厄、
ときたもんだ。
ちなみに33歳が大厄となる。
つまり30と34、それから39と39以外は全て
「厄年」というわけだ。
その上、突如としてその後、
59,60,61の年までの20年以上もの間、
女性の厄年は来ないのだ。


厄年自体がまず「大昔」の設定のままで、
そもそも1000年以上の歴史があり
陰陽道などが元になっているものらしい。
そんなものを現代になっても引きずり
厄払いなどに励むのだから日本人は真面目だ。

当時は寿命が50〜60歳だった時代で、
そんな時代の設定を現代にも無理やり当てはめて
厄年はお祓いをしないと!と今でもなっている。
信心深いを通り越して少し不思議な習慣と言える。

しかも、厄年の起源は単なる語呂合わせで、
一般的に大厄とされる、女性の33歳は"散々"、
男性の42歳は“死に”に通じるから、
という説が有力なんだそうだ。
なんだそりゃ!だけどそんなもんなのだろう笑

実際寿命が50〜60だった時代の42歳頃は
大病を患いやすい年齢だったかもしれない。
その中女性は出産などで亡くなることも
少なくはなかったであろうことを考えても、
その後更に体力の落ちた30代は
病気にもかかりやすく、大変だったはずだ。
出産が命懸けなことは現代でも同じだけれど
生死への関わり方や寿命においては
現代とはかなり違いのある時代のことだ。

そして昔々、
確か神社の方のお話だったと思うけれど、
それを読んで自分の厄年への考えを
大きく改めたことがある。
現代人の厄年の解釈は大きな勘違いがある
というものだ。

厄年は災いが起こるとか、災厄が降りかかる
「悪いことが起こる年齢」なのではないそうだ。

ライフステージや人生に
「大きな変化が起こりやすい年」
ということなんだそうだ。

その変化には「良いもの」も含まれる。

例えば現代に当てはめてみると女性の30代は
結婚をしたり妊娠したりお子が誕生したり
仕事で大きく昇進したり何か大きな決断をしたり、
そういったことも沢山あるだろう。
例えば、離婚したり、と書けば悪いことに
思うだろうか。しかしそれは良いことの場合も
あるのではないだろうか。
(例えばDVやモラハラから逃げて新生活を
始められたのだとしたら最高に良い出来事だと思う)


よく、厄年の時は大きな決断をしないほうが良い
というようなことを言われると思うが
これも諸説あり、そういうことでもないらしい。
むしろ、厄年の間に大きな決断や
大きなチャレンジをすることが
良いことなのだという説もあるのだそう。



わたしが厄年に興味がなくなったその理由は
大したことではないのだけれど、
「厄年のせいにするってどうなん?」
と思っただけのことだ。笑


というのも、今まで生きてきて、
厄年の間に起こった「悪いことや嫌なこと」を
例えそれがどんなに小さなことで、
厄年にかかわらず生きていれば起こり得る
なんてことのないことまでもいちいち
「ああ厄年だからだ」と嘆く人々、
というのを意外にも多く目にしてきた。
正直、みんなそんなに厄年なんていうものを
気にしているんだ!と驚いた。

そこでふと、
人の心理をよく突いているのだ、と思った。

悪いことが起こったり辛い経験をしたら
「何か」のせいにしたい。
なんの意味もなくても、そうは思いたくない。
それが起こったことに理由をつけたいのが
人間の心理なのかもしれない、と。

そこに厄年は"うってつけ"だ。
なんせ3年間も厄年のせいにできる。
そして女性であれば30代のうちの6年間を
厄年のせいにできる。
しようと思えば。

とはいえそれを良い方向に取れるのであれば
それはそれで良いことかもしれない。
「これは厄年のせいだからだ!」と
起こった出来事をあえて厄年のせいにすることで
気持ちが晴れてスパッとそこで切り替えて、
割り切ってしまえるのであれば、だ。

しかし実際わたしが見てきたことで言うと
むしろ逆が多かった。

例えば、
「今年から厄年だからこれから3年間は
悪いことばかり起こるかも」と悲観的になったり

どれほど小さなことでも悪いことがあれば
「やっぱり、厄年のせいだからだ」
となる。

お祓いに行ったとて、もちろん悪いことは起きる。
なぜなら、悪いことが起きない日常など
人の人生には存在しないからだ笑。

そうすると結局、
「お祓いに行ったのにまだ悪いことが起きる
厄年の厄は払いきれないほど強力なのだ」
と結局悲観する。

それは厄年に関係なく起こったであろう
日常の出来事に過ぎないのが事実で、
「厄年だから起きた悪いこと」なのではない。

怪我した?病気した?体調不良が続いてる?
それ、厄年じゃなくても起こるよ?

アクセサリーをなくした?何か壊れた?
それも立て続けに?
うん、でも厄年は別に関係ないよね?

とまあ、私はついついこう思ってしまう笑。


いや、
わたしが捻くれているだけなのかもしれない笑

けど、

世の中の厄年のみなさま、
1000年も前に語呂合わせで作られたような
厄年なんていうものをそんなに気にしないで、
お祓いを受けるなら受けた後は一切気にせず、
日常を過ごしてほしいな、と思ってしまうのです。
きっとそのほうが、厄年のことなど忘れて
気づけば良い1年を過ごせるのでは、と。

厄年にだって嬉しいことは沢山起こるだろうし、
もちろん辛いことも悲しいことも
色んなことが沢山起こると思います。
これが日常だからこそ、です。
だから厄年の皆さんも厄年でない皆さんにも、
残り少ない今年と、もう目の前に来ている
来年という年に、どうか嬉しいことが
沢山たくさん起こりますように、
悲しいことが起きてもそれを乗り越えられるくらい
嬉しいことが起こりますように、そして
ついでにわたしにも良いことが起こりますように
とわたしが祈っておきますね。


明日で2023年も終わります、
どうかみなさまが、それぞれの
良い大晦日を過ごせますように。


長くなりましたが、
ここまで読んでくださってありがとう。

人が少ないなぁと感じるこの年の瀬のnoteで
こんな長い文章を書く奴があるか、
そしてこんな長い文章誰が読んでくれるんだ、
と思いながら書きました笑


見出し画は、昔々通天閣へ登った時にもらった?のかな…?
かわいいので取ってあったもの。笑




それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。



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