変わりゆく街と、変わらないもの。
心斎橋OPAが来年1月で営業を終了するそうだ。
思わず「えっ!」と声が出た。
なんというか、ちょっとショッキングなくらい
驚いたニュースだった。
1994年にオープンし、約30年。
そうか、心斎橋に洋服を買いに行ったりする
そんな年齢の頃には、もうすでに存在していたのだ。
ずっと当たり前にあったものがなくなるという
それだけでもショッキングで、とても寂しい気持ちが込み上げてくる。
コロナ禍、ひとっこひとりいないレベルの
閑散とした心斎橋筋商店街を歩いた。
当時心斎橋まで徒歩で行ける距離に住んでいて、
緊急事態宣言中のある日、薬局に行きたくて街中を
歩いていたのだけれど、人々が忽然と消えてしまった
恐ろしいゴーストタウンのような状況に、
信じられない気持ちでいっぱいだった。
まさかこんな光景の心斎橋を歩くなんて、と。
自分の心身も特に弱っていた時期と重なっていて、
なんとも言えない、今にも泣き出してしまいそうな
そんな不安な気持ちで、写真すら撮らずに、
見たことのないゴーストタウンの心斎橋エリアを
歩き、眺め、過ごしていた。
そしてコロナ禍になってから1年半ほどが経過した
2021年の夏、引っ越をして心斎橋からは離れた。
その年の秋か冬か、引っ越しが落ち着いて
久しぶりに心斎橋へ行った時は、あのお店がない、
このお店も閉まってる、という状況だった。
そんな中でもOPAはずっと当たり前に存在していた。
10代や20代の頃、いやいや30代になってからも
本当によく洋服なんかを買いに行ったし、
近くに住んでいる時はもちろんよく行った、
ごはんや甘いものを食べたりだとかして。
誰かと心斎橋で待ち合わせする時も、よくOPA前を使った。
10代20代30代と、本当に数えきれないほど行ったし
ずっとずっと当たり前に存在していた。
そんなOPAが、来年の1月でなくなってしまうのだ。
自分が変わってゆくように、街も変わってゆく。
ここから先は、思い出だけが変わらないのだろう。
楽しい思い出も、悲しい思い出も、
今も大切な友人たちとの思い出も、
今はもう疎遠になったり縁が切れてしまった
人たちとの思い出も、過去の出来事たちだけが
OPAがあった場所に思い出として留まる。
あと1年は、OPAなくなるんだあ…という気持ちで
その姿を見るのだろうし、なくなる前に久しぶりに
中へ入ろう、昔みたいにぶらぶら歩いて、
何か買い物でもしようか、それからクレープでも食べようか。
そうして1年後、いよいよ閉店してしまったときは
ああ30年の思い出をありがとう、
悲しかった思い出もここへ一緒に置いてくね、
そんな気持ちでその姿を眺めるだろう。
変わりゆくものと変わらないもの、
変えたいものと変えたくないもの、
人生はいつも、そんなものの間で揺れ動いている。
私にとってのOPAの存在って、もしかしたら
忘れられない恋みたいなものなのかもしれない。
あまりに沢山の思い出が詰まりすぎていて、
良くも悪くも息が苦しくなる場所、心斎橋。
大好きで、大嫌いな街、心斎橋。
それではこの辺で。
今日も1日おつかれさまでした。
最後まで読んでくださってありがとう。
また気が向いたら、来てくださいね。