【女ひとりでエベレスト街道】エベレストに人生を捧げるということ
エベレストベースキャンプを目指すトレッカーのうち、無事にたどり着ける人の割合は4分の3。
4分の1の人たちは残念ながら高山病などの体調不良によりたどり着くことができないそうです。
また、たどり着ける4分の3のうち、4分の2の人たちも高山病の影響を受け、一度高度を下げたり予定外の延泊を経験するそうです。
さて、私は無事たどり着けるのでしょうか。
トレッキング7日目。
ディンボチェ(4,410m)からロブチェ(4,930m)まで登ります。
1.Everything is OK!
前日ぐっすり眠れたので、この日の朝の体調は好調。
ガイドさんに「頭痛はない?吐き気は??」と聞かれ、首を横に振ってからふと気付く。
確かネパールでは、首を横に振るジェスチャーは日本と真逆で「YES」の意になる。
混乱してきたので、ひとまず「Everything is OK!」と言ったらガイドさんも安心してくれました。
(私の英語力よ…)
色々とお世話になったロッジの方にも改めて感謝を伝え、ディンボチェを出発します。
途中までは前日ハイキングで登った道をゆっくり登ります。
寝袋をガイドさんが持ってくれているおかげか、荷物の負担も思ったほどじゃない。
ある程度登ったら見晴らしの良い平坦な道が続きます。
お昼はメニューに「korean ramen」なるものを見つけ、注文してみたら辛ラーメンでした。
エベレスト街道も日本人客はずいぶん減って、中国や韓国のトレッカーが増えているそう。
2.エベレストに人生を捧げるということ
お昼ご飯を食べてしばらく歩くと、多くの人が足を止めている場所が。
エベレストに人生を捧げた人たちの慰霊碑がありました。
ぱっと見はシェルパのものが目についたけれど、慰霊碑は国籍を問わず沢山ありました。
探せばきっと日本人のものもあるのだと思います。
私は難波康子さんや、栗城史多さんくらいしか知らないけど、エベレストに人生を捧げた日本人も沢山いるんだろうな。
ちょうどロッジでの空き時間にKindle版の「エヴェレスト 神々の山嶺」を読んでいたこともあり、エベレストに人生を捧げるということについて思いを馳せました。
理屈ではなく、突き動かされるものが何かあるんだろうな。
芸術家が一枚の絵に魂を注ぎ込むように、山に自分が生きた証をぶつける人たち。
自分にはこれしかないと思えるものに出会えた人の人生は、例えそれに命を奪われたとしても幸せなのだろうか。
それでも、仕事のためやむなく命を落としてしまったシェルパや、この慰霊碑を作った人たちの気持ちを考えるとやっぱり言葉は出ませんでした。
3.ロブチェで再びルート相談
この日はとてもコンディションが良く、ゆっくり行こうと言っていたものの結構早めにロブチェに着くことができました。
高山病の気配はほぼ消え去っています。
高度が上がるとロッジの数は減るため、1ロッジあたりの宿泊客が増えてダイニングが賑わいます。
特に暖かいストーブの周りは大人気。
そして山好きの人はみんなフレンドリー。
目的地を聞かれたり、「北海道にスキーに行ったよ!」と声をかけてくれたり。
英語ができたらもっとコミュニケーションとれるのにな。
夕食後、ガイドさんと明日からのルートを再び相談。
明日ゴラクシェプに泊まるか、ロブチェに戻ってくるか意向を聞かれ、「できればゴラクシェプに泊まってカラパタールに行きたい」と伝えました。
今日の状況を見てガイドさんも行けると判断してくれて、結局当初予定していたルートのまま進むことに決定。
カラパタールに行ける!
やったー!!!!
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