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ネガティブは最高のエンターテイメント?

こんにちは、いろ鳥です。

よく「引き寄せの法則」などで言われる願望実現の法則では、「自分の望むものに思考を集中させ続け、抵抗を持たなければ実現する」と言われています。原理は実にシンプルなんですが、多くの人がこのシンプルな原理を使いこなせていないように感じています。その理由の一つとしては、「自分の望まない方向に思考を向けがち」問題、というのがあるような気がしています。

望まない出来事に対して「嫌だ!私はこの現実を望まない!」というところまではスムーズにできると思うんです。でも、その先にある「私はこうしたい!」という、嫌だからの自分の望みに転換するというのが、どうも下手というかスムーズにいってないように見えるのです。「私はこんな仕事をしたくない!」というところまでは自覚できても、「だから私は〇〇〇のような仕事をしたい!」という風に自分の望みを転換できるのは、ある種のスキルが要ります。まあ、場数をこなすというのもあるのですが、「嫌なことを自覚するスキル」と「嫌な事から自分が望むことを見つけるスキル」というのはベクトルが真逆の才能なんです。だから「私は〇〇〇が嫌だ!!!」と言い続けても人生は好転しないし、変化すらしていかないのです。

中華料理屋さんに入って、エビチリが出てきたとします。あなたはエビチリが嫌いで麻婆豆腐が食べたいとします。その時「私はエビチリが嫌い!」と言い続けても麻婆豆腐が出て来るわけではありません。「私は麻婆豆腐が食べたいです」と店員さんに言って初めてオーダーが通るわけです。願い=オーダーと例えるなら、この原理が分かりやすく理解できるのではないでしょうか。料理の注文ならそれが出来るのに、自分の望みとなるとそれが上手くできなくなるのは何故でしょうか。料理のオーダーは簡単で、人生のオーダーは難しいとどこか捉えているからかもしれません。

こういった欠けている状態、ネガティブな状態に無意識に引き付けられてしまう現象について、私は長年疑問を抱いていました。だって、満たされてポジティブな状態の方が気持ちいいですし、誰しもがその状態を根本は望んでいると思っているからです。なのに、なぜ「無い」とか「欠けている」といったネガティブな状態に引っ張られてしまうのか。ポジティブな方向に簡単に転換することができず難しくなっているのか?

すべてはエネルギーでできているので、ネガティブな思考に視点を合わし続けるとその流れが加速して、負のスパイラルに陥るというのは多くの人が人生で体験していると思います。なので、負のエネルギーが加速してしまっているので、その流れを止めるのは難しいから、ネガティブ思考に慣れている人は自然とネガティブに引っ張られる、その状態が心地よく感じてしまうのはあるでしょう(※ホメオスタシス的な意味で。本当は心地よい状態ではありません。同じ状態を続けることが一種の快感、ということだけです)。

この説明も一理あります。確かに習慣化したネガティブ思考は強い勢いがあるので、そちらの方向に引っ張る力も強い。しかし私はもっと根本なところに要因があると感じています。

それは、

ネガティブな状態って、最高に刺激的だから。


何て???

ネガティブな状態って、個体(肉体)視点で成り立つオリジナル体験なので、最高に刺激的で強い生命力を味わうことが出来るので、中毒性があり、ついつい夢中になっちゃうから!!!


私は、これに尽きるのではないかと思っています。

よくわたしたちは「ワンネス」と言われます。ワンネスという一つの非物質的存在だったわたしたちが、分離してその一部が肉体に宿っています。そして、この世界に「人間」として存在しているのが私たちです。「ワンネス」というは同じ視点・同じ存在なので、個々の視点というものがありません。同じように感じ、同じように考えることが出来る。ある意味一体感の塊ですが、そこからオリジナルの体験をすることが目的でこの世に生まれたのが、肉体を伴った人間なのです。いわゆる「ワンネス」から「分離」した状態が人間です。

肉体というのは限定的なのです、そこに深くハマると他の人の思考や感情を理解することは出来なくなります。一体感を求めても、肉体と肉体を完璧に合わせることは出来ません。「肉体」という視点だけではどうしても「分離」が常なのです。だって「分離」するために肉体を伴って生まれてきたわけですから。

なので、「ワンネス」では味わえなかった「分離」から生じる出来事が新鮮で珍しくて「何じゃこりゃ???」となり、ついつい思考をそちらに合わせてしまう。その結果「ワンネス」では体験することが出来なかったネガティブな状況に、ついつい引き込まれてしまうのだと…。

これに気が付いた時、私は「なるほどな~!!!!!」とかなり納得した感じがありました。分離=個体意識。それは人間でしか味わえない思考や感情や感覚。「ワンネス」の状態では得られなかったもの。むしろ分離を求めてきたのだから尚更のこと。そりゃ、軽々とネガティブ方向に視点が向いちゃいますよね?????

そうは言っても、ネガティブな状態が私たちにとって自然な状態でないことには変わりがないので、長いことネガティブな状態に浸っていると心身共に支障をきたします。その時にようやく「ワンネス」だった意識を取り戻すのです。痛い目見ないと変われない、とはよく聞くフレーズです。

なので、根本からネガティブな状態を手放すには、私は「ネガティブな状態に飽きる」しかないと思っています。飽きたら自然と「やーめよ」と手放せますから。この「飽きる」という感覚はすごいです。子どもでも大人でも「やめる」という行動をするきっかけを、自然に作ってくれるのですから。

ネガティブな状態をどうしてもやめれない人は、そこに何かメリットがあるから手放せないのだと指摘します。まだネガティブな状態に飽きていないのかもしれません。だってネガティブな状態というのは強い刺激を感じるからです。肉体意識を強く感じれるので、それを「生命力」と勘違いしてしまって、またはそれを生きる原動力にしてしまっているから手放せないのかもしれませんね。何かを恨むことで人生が成り立っている人もいるくらいですし。

ネガティブな状態が酷かった時、私はわたしに質問してみたことがあります。「どうやったらこのネガティブな状態を手放すことが出来ますか?」と。するとしばらく間が空いてから、このような答えが自分の内側から湧いてきたのです。

「ネガティブな状態を体験したかったから」

え?と思い、私は続いて質問してみました。

「じゃあ、ネガティブな状態を体験して満足したら、手放していいの?」

答えは


「はい」


なんじゃそりゃ。その時本気でそう思いました。

今まで真剣に悩んできたのは何だったのか。
私が「ネガティブな状態にもう飽きたから、手放します」と言ったら、ネガティブな状態に陥らなくていいなんて、そんなことあるものか。馬鹿げている。そう思った記憶があります。

でも、その時「これは本当の情報だ」と思ったのも事実です。何かすごい奥の底の力が抜けた感覚があったからです。

あれから数年たち、その時自分の中で起きたやり取りはやっぱり本当だったと改めて思います。

ネガティブな状態を手放したいなら、「私はネガティブな状態をたくさん体験してもう満足した、満たされた。だから手放す」と意図したら、自然とネガティブな思考から自分が解放されていきます。まず、ネガティブな情報に触れなくなります。「これネガティブな情報だな。スルーしよう。自分の中に取り入れるのはやめよう」と気付けるようになります。

私は今まで、ネガティブエンターテイメントを何だかんだで楽しんでいたのです。そこには肉体でしか味わえない刺激、個々の視点や感情、思考、閉塞感、停滞感、重い肉体感覚。それに夢中になっていたのです。料理で言ったら刺激の強い激辛カレーでしょうか。その刺激の強さの中毒性に病みつきになってしまっていたのです。しかし激辛カレーを食べ続けたら健康に弊害が出るのは明らか。ネガティブエンターテイメントは心身の健康という代償を捧げて楽しむしかないのです。そこに限度が来た時に、手放しのチャンスが訪れると思います。

人の悪口、罵詈雑言、愚痴、批判、ジャッジ。これらはすべて最高のエンターテイメントで、刺激物なんだという視点を持つと、これらに参加している人たちを責めることは出来ません。だって私だってたくさんやってきたのだから。そしてその麻薬的な中毒性があることも重々承知です。その人たちはその人たちの選択で、それを選んでいるのです。なのでほおっておいてあげましょう。最高のエンターテイメントを楽しんでいるのですから。しかし、その体験を満たして手放したいと思っている人は、「今」それを手放すことを意図してみて下さい。段々とネガティブ状態から抜けていくのが分かりますよ。その意図が「本気」であればあるほど、強い効果が出ると思っているので、本気で腹の底から望んでくださいね。

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