日常に生かすマインドフルネス③◇心地よさからも距離を置く◇
コーチング仲間とZOOMで同窓会やお話会をしました。仲間と話すだけでいろんな気づきが生まれますね。
教師歴20年、心理カウンセラー×ライフコーチ彩葉(いろは)です。
さてさて、わたしが勝手に敬愛する綿本彰先生の『マインドフルネス瞑想指導者養成講座』
講座を通して学んだマインドフルネス瞑想について、また、「日常に生かすマインドフルネス」についてお伝えしていくシリーズです。
前回まではコチラ↓↓
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瞑想で「ゾーン」に入る感覚
わたしは14年前にシータヒーリングを学び、その後ヨガで瞑想するようになってから、とても深く瞑想できるようになりました。
深く入り込み過ぎて呼吸を忘れ、瞑想から戻ってきてもしばらく身体が動かない、ということもしばしばありました。
何かね、前頭葉の辺りがほわーんとする感じで。
とても心地よくて、何も考えられなくて、その心地よさに集中して味わっている感覚です。(伝わるかな?)
これまでのわたしにとって瞑想は、とても心地よい体験であり(慎重に戻らないといけないけど)、その深い心地よさを求めて瞑想する、というところがありました。
いわゆる「ゾーンに入る」感覚に近いものでしょうか。
ゾーンに入れば今日の瞑想は成功○
入らなければ失敗✖️
そんな風に感じるようになっていました。
マインドフルネスを日常に生かすために
今回の講座で、綿本先生に質問してみました。
「ネガティブな感情感覚から距離を置いて見守る、というのはよくわかるのですが、心地よさや喜びなどについても距離を置いた方がいいのでしょうか?」
綿本先生のお答えはこんな感じでした↓↓
心地よさや喜びなど、いわゆるポジティブとされる感情に没入することは、決して悪くはない
ただ、マインドフルネスの感覚を日常生活に生かしていくためには、時にはポジティブな感情からも少し距離を置いて俯瞰する練習が必要
そんな話をされていました。
そう
マインドフルネスを日常生活に生かすことが大切
なんですよね。
その時だけの心地よさや
効果効能を期待して瞑想するのも決して悪くはないんだけど
視点をもっと高く、広くもつ
例えて言うなら
瞑想の時間はただの「基礎練習」で
「試合(本番)」は日常生活
基礎練は試合で生かされてなんぼなのに
わたしは基礎練の方しか見てなかったのかもしれないな、と気づかされました。
ポジティブであれネガティブであれ
そもそもそんなジャッジもせずに
ただ、今に集中し
ありのままを感じる
距離を置いて「そっか、そうなんだね」
慈しみをもって見守る
どうやらそれに尽きるようです。
(続く)