短編小説『とりあえず十年で』
◆はじめに
閲覧ありがとうございます。有料記事としておりますが、作品は最後までお読みいただけます。では、どうぞ。
『とりあえず十年で』
一日の平均アクセス数は三件。小説を掲載した日には少し増えるが、ほとんどの日は誰も訪れない。コメント欄やメールで感想をもらった事もない。一体誰が読んでいるのかさっぱり分からない。そんな文芸サイトを細々と続けて十年が経った。
いよいよ、これが最後の掲載になる。サイトを立ち上げた当初から十年続けることを目標としてきた。結果がどうであれ、ここで潔く終わらせるつもりだ。
サイトに掲載する前には何度も読み直す。その度に誤字脱字を見つけたり、表現のおかしい部分を見つけたりする。それらを修正し、また初めから読み直す。すると、また別の所で引っかかる。完璧にしようとすればするほど時間はかかる。時間をかけている間に、別のものが書きたくなってくる。一度サイトに掲載してしまえば、たとえアクセス数が少なくとも、誰かに読まれたという事で諦めがつく。もちろん掲載後にもチェックはする。あまりにも恥ずかしい間違いをしていたら修正はするが、自身の興味は既に次の作品に移っている。
もしも文芸サイトを作っていなければ、どこかで書くことをやめていただろう。サイトを立ち上げた高校生の頃の自分、大学生だった頃の自分、社会人となってからの自分。十代、二十代の自分。実家にいた頃の自分、一人暮らしを始めた自分。環境が変わる毎に、小説を書くという行為の優先順位は変わった。やめる機会はいくらでもあった。それでもふとしたときに思い出すのはこの文芸サイトだった。辛いとき、苦しいときほど、僕は小説を書きたくなる。愚痴も悪口も、現実に起こった事をありのままに書くことは出来ない。けれども、要素を抽出し、現実と虚構を織り交ぜることで、一つの作品が生まれる。物語の主人公たちは僕には到底出来ないことをやってくれる。その物語を紡ぐ中で、僕自身も鬱屈とした気持ちを昇華させるのだ。
大勢の人に知ってもらいたいわけじゃない。でも、誰かに知ってもらいたい。文芸サイトは、そんな僕の傲慢な心を満たしてくれる存在だった。おかげで僕は何度も救われている。きっかけをくれた彼女には感謝しなければならない。
この最後の小説を掲載すれば、僕は目標を達成したことになる。そう考えると指先が少し震えた。マウスをたった一回クリックするだけだというのに、その一回が重く感じられた。傍から見れば些細な事なのだろう。けれど、僕にとっては十年間の集大成でもあるのだ。
推敲を終え、パソコンから一度目を離した。先ほどまで気にならなかった時計の音が耳に入ってきた。よほど集中していたらしい。日付も変わっていた。それは、文芸サイトを始めた十年前と同じ十一月二十二日だった。
◆
「ねえ、私たちでサイト作らない?」
彼女は言った。
「え、何の?」
僕は言った。その瞬間、しまった、と思った。
「文芸サイト。二人で小説を書いて投稿するの」
作らないと即答すれば摘めた芽だった。彼女が目を輝かせると、ろくなことがない。うっかりな自分を殴りたくなった。断った所で摘めたかどうか疑わしいけれど。
「え、今? 今それを言う?」
「今しかないでしょ」
僕たちの所属する文芸部では、文化祭に向けて年一回部誌を発行している。部員全員が提出をしなければならず、締め切りには厳しいという伝統がある。現在の部長である僕も伝統を受け継いだ。締め切りが近づくにつれて部員たちは睡眠不足になり、目の下にはクマが出来る。それでも何とか締め切りに間に合わせるべく執筆作業に励む。
彼女がサイトを作ると言い出したのは、長い執筆作業を終え、作品を提出した日の事だった。僕はまだ達成感を味わっていたかった。ようやく一区切りついて気が緩んでいたのかもしれない。睡眠も充分にとれていなかったため、摘めたであろう芽をつい育ててしまったわけだ。彼女の性格上、それを分かってこのタイミングで言い出したのだろう。
「今は何もしたくない気分なんだけど」
「今しなかったら、もうしなくない? もうやることないんだよ」
「それは……そうだけど」
せめてあと一週間くらいはゆっくりしたい。そう言わせてもらえない雰囲気だった。
部誌発行の時期以外は雑談部と化している、ゆるい部活だ。毎日のように顔を出す部員は少ない。三年生では僕と彼女だけだった。
しばらく小説は書きたくないと思いつつ、書く機会がなくなってしまったのは事実だった。文化祭が終わると三年生は引退となる。彼女の提案が少し魅力的に見えてしまったのも、仕方がなかったのかもしれない。
「……いやいやいやいや! 勉強しないと!」
僕たちは進路を決めなければならない。何よりも勉強優先。今は大切な時期なのだ。口車に乗せられてはいけない。
「勉強の息抜きに、サイト作ったら良いじゃん」
あ、なるほど、と思った僕は馬鹿だった。いつものように流されてはいけない。言い訳を必死に探す。
「作ったことないし……」
「一人で作るわけじゃないんだしさ、一緒に作ろうよ」
あっさりと返されてしまったが、この言葉には嘘偽りがあることを僕は知っている。何故なら前例が山ほどあるからだ。
彼女と出会ったのは文芸部の入部初日だった。まだ顔と名前が一致しない時期、同じクラスだと判明し親近感が湧いてしまったのだった。一年生の時は翻弄されっぱなしだった。彼女はいつも突拍子もないことを言う。
女装してみない? 一緒にやろうよ。
一人旅行かない? 一緒に行こうよ。
部室の扉をどんでん返しにしない? 一緒に作ろうよ。
女装に興味はないし、女子が女装は意味が分からない。一人旅に一緒に行ったら一人旅じゃない。部室は忍者屋敷じゃない。
女装は僕だけが化粧をし衣装を着ることになった。一人旅は当日になって彼女から体調不良の連絡があり、ただの一人旅になった。部室の扉をいじろうとしたら当時の部長に怒られた。顧問の先生からも怒られた。
他にも、人間が入れる椅子を作ってみないかと持ちかけられたり、人質の気分を味わってみないかと言われたり、部長にバーカバーカと罵声を浴びせに行かないかと言われたり、とにかく彼女の言動に振り回された一年間だった。
二年、三年では違うクラスだった。これで穏やかな日々が送れると思っていたのに、彼女は僕のクラスに頻繁にやってきた。部活について大切な話があるといって呼び出される。部誌発行時期以外は雑談部なので、大切な話などあるわけがない。それでも毎回引っかかってしまう僕は、彼女にとって騙しやすい相手なのかもしれない。
この無茶ぶりな姿勢は何も僕に対してだけじゃない。基本的に人の意見は聞かないし、自分が頭の中で考えたことは相手にも伝わっているものだと思っている。頭の中が覗けるわけでもあるまいし、そんなことは不可能だ。大抵の人は彼女と距離を置く。そんな彼女の相手を三年間も続けている僕は、自他ともに認める流されやすく気弱な……もとい、優しい心の持ち主なのである。
突拍子もない彼女の発想は、僕の頭の中には存在しない。その点においては魅力を感じていた。単純に発想が面白いのだ。今回のサイト作りも、僕は一度も経験したことはない。けれど、少し気にはなっている事だった。こんな風に声をかけられなければ、きっと作ることなどなかっただろう。嫌がる素振りをしておきながら、心の中では既に本やネットでサイトの作り方を調べたくなっている自分がいた。しかし、興味津々な態度をとると彼女はエスカレートするだろう。サーバーから構築しようなどと言い出しかねないので、態度は変えないことにした。
「分かった。作るかどうかは置いといて……更新はどれくらいのペースでするつもり?」
「書きたいときで良いんじゃない?」
「それだと更新しなくなりそうな気がするな。せっかくなら目標が欲しいね」
「じゃあ、とりあえず百作くらい?」
「百作! いや、それは無理でしょ!」
「いけるいける!」
「何を根拠に……」
「根拠はない!」
「ないのかよ!」
思わず声量が上がってしまった。彼女と会話をしていると、つい場所を忘れて声を荒げてしまうことがある。部室だったから良かったものの、これが教室だったら恥をかくところだった。実際、何度か恥をかかされているが。
「一人五十作、二人合わせて百作。ほら、いけそう」
「いや、全然いけそうじゃない」
「とりあえず十年くらいあれば余裕でしょ」
「十年って……そんな長期的な計画だったの?」
「まあね」
本当かどうかは分からないけれど、彼女は自信ありげに笑った。同い年のはずなのに、彼女は何故かいつも偉そうだ。何故十年だと気づかなかったのかと、言葉にはしていないのに表情を見るだけで伝わってきた。彼女にはそういう所がある。
てっきり高校卒業するまでの娯楽用サイトだとばかり思っていた僕は、十年という年月の想像が出来なかった。十年後、自分が何をしているかなんて考えたこともなかった。とりあえず百作、とりあえず十年、という彼女の発言は不思議と僕の中にストンと落ちた。
頭の中で計算をする。十年で五十作ということは、一年で五作。一ヶ月に一作。二ヶ月は書かないで良い月も出てくる。確かにいけそうな気がしてしまった。一ヶ月に一作というペースで書いた事は一度もない。ネタも続くかどうか自信がない。
「長編でも、短編でも、詩や短歌でも良いの?」
「何でも良いんじゃない?」
細部にこだわらないのはいつものことだった。
身を乗り出して質問をしてしまっていた僕はやる気があると見なされたようだった。案の定、サイト作りのほとんどは僕がやった。受験勉強とサイト作りの勉強に四苦八苦し、寝る間を惜しむ生活へと突入していったのだった。
◆
とりあえず百作、とりあえず十年。
彼女の思いつきから始まった文芸サイトは、無事に最後の掲載に至った。クオリティはともかくとして、ここまで続けられた自分自身に拍手を送りたい。十年続けた事が他に何かあるかと問われれば、何もない気がする。
嬉しい出来事もあった。
彼女から連絡があったのだ。
高校卒業後、僕たちはそれぞれ違う大学に進学した。しばらくは連絡を取り合いながら、互いに書きたいときに小説を書き掲載していた。けれど長くは続かなかった。彼女の更新頻度は低くなっていき、やがて途絶えてしまった。一度連絡をしたものの返事が返ってくる事はなかった。やりとりがなくなってから七年近く。彼女からの連絡を待っていた僕も、就職活動で忙しくなり、社会人になってからは仕事に追われた。ようやく落ち着いて電話をかけた時には番号が変わっていた。僕から連絡する手段はなくなってしまっていた。
サイトの問い合わせページから届いたメールには、お祝いの言葉とともに彼女の電話番号が書かれていた。最後の小説を掲載してから三日後の事だった。平日の昼間なら電話に出られると書かれており、次の日には電話をかけた。呼び出し音が鳴り、三回目にはつながった。
「よっ! 久しぶり! 元気?」
十年前と変わらない彼女の声だった。最後までやり遂げた達成感からだろうか、こみ上げるものがあり、咄嗟には返事が出なかった。
「え、無視? 聞こえてる?」
「……聞こえてるよ。久しぶり」
「着信で気付いたけどさ、電話番号変わってなかったんだね。まだガラケーだったりするの? あ、最後の作品すごく面白かったよ。あれって調べ物多かったんじゃない? あと一年前に書いてたやつ? あれも切なくて泣きそうになった」
こちらの返事を待つことなく問いかけてくる。これも相変わらずだった。彼女は過去に掲載した作品についても感想を述べてくれた。定期的に作品を読んでいたようだった。
「読んでたんなら連絡くれれば良かったのに」
「そこはほら、間が空いちゃったからさ。作品も投稿出来てなかったし……何かきっかけがないと連絡出来ないじゃん。君の方こそ連絡してくれたら良かったのに」
「つながらなかったんだよ。番号変えてたでしょ」
「あれ、そうだっけ? ごめんごめん」
「まあ、元気そうで何より。連絡取れて良かったよ」
「そちらこそ元気そうで良かった。あ、今度会おうよ」
「いいね」
「来月?」
「いつでも予定は空けるよ」
「じゃ、またメールか電話するね」
「うん。分かった」
「じゃあね」
電話を切る。文芸サイトを続けていて良かったと心底思える時間だった。
彼女から連絡があったということは、僕の気持ちも伝わったのだろう。そう思いたい。何故なら、掲載した全ての作品は、彼女への想いを綴ったものだったのだから。
次の連絡を心待ちにして、今夜は眠ろう。そう思いながら僕は布団に潜ったのだった。
長く続くトンネルから、ようやく光が見えた気がした。
◆
……以上が、僕が文芸サイトに掲載した最後の小説だ。
とりあえず百作、とりあえず十年。
彼女の思いつきから始まった文芸サイトは、無事に最後の掲載に至った。それからは更新をしていない。一日の平均アクセス数は三件から更に減った。
サイトに載せて一ヶ月が経ったが、作品のように彼女から連絡が来る事はなかった。
この時を迎えるのは怖かった。
彼女との唯一のつながりが、本当につながっていたのか、ここではっきりとしてしまうからだ。つながってないと思ってはいた。七年近くも連絡を取っていないのだ。けれど、サイト訪問者の中に実は彼女がいるんじゃないかと期待する自分もいた。とりあえず十年という言葉の中には、十年後にも二人が共にいるという前提も含まれているものだと期待していた。
連絡を待っている間にメールが一件届いた。僕は飛び上がるほど喜んだ。迷惑メールだった。この時の迷惑メールほどうんざりするものはなかった。思わず罵詈雑言をふんだんに盛り込んだ返信文を書いてしまった。そこで気づいたのは、自分が思っている以上に彼女からの連絡を心待ちにしていたということだった。惨めさに気づき、送信する前に削除した。
現実はそう甘くない。
都合良くはいかない。
大勢の人に知ってもらいたいわけじゃない。でも、誰かに知ってもらいたい。そんなのは嘘だ。誰でもない、彼女に知ってもらいたかった。でも、遅かった。僕は直接彼女に想いを伝えるべきだったのだ。高校生の時に。共に過ごせていたあの時期に。
彼女はいつも面白い発想で刺激をくれた。彼女がいなければ文芸サイトを作る事はなかった。化粧をする事も、一人旅に行く事も、部長や顧問の先生に怒られる事もなかった。休み時間のたびに女子と話す機会もなかった。周りからは二人は付き合っているのかと疑われた事がある。否定はしたが、まんざらでもなかった。けれど、彼女は誰に対しても同じように接していた。その事が僕を臆病にさせた。僕は彼女から沢山のものを得ていたが、じゃあ彼女は僕から何を得られているのだろうか。と、そんな損得勘定で物事を考えてしまった。答えはもっとシンプルだったはずだ。
彼女と出会わなければ、きっと高校生活はもっと穏やかな日々だっただろう。それはつまり、大学生時代や社会人の今と同じ、何の面白味もない退屈な日々だったということだ。
部誌に載っていた彼女の作品を読んで、僕は泣いた。作品を読んで泣いたのは初めてだった。十代の時期に抱く、どうしようもなく満たせない何か。その何かが明確には分からなくて、もがき、苦しむ有様を描いた作品だった。同い年なのに、どうしてここまで心を打つ作品が描けるのかと嫉妬を覚えたほどだ。どこかのプロではなく身近な素人の作品が、僕にとっては目標となり文芸サイトを続ける原動力になった。
彼女への想いは、きっとこれからも変わらないだろう。僕にとっては大きな存在だったのだ。けれど、どこかで現実に目を向けなければならない。僕と彼女との関係は既に切れていて、もう交わることはない。僕は僕自身で自分の人生を刺激のあるものにしていかなければならない。
あと数日で新年を迎える。
新しく何かを始めるにはちょうど良さそうだ。
二人で始めた文芸サイトは役目を終えた。もう更新はしない。けれど、僕はこれからも書き続けるだろう。小説を書くという行為には何度も救われてきたのだから。新しくサイトを作ってみても良いかもしれない。これまで一人で小説を書いていたけれど、同じような執筆仲間と出会うのも良いかもしれない。
時間はかかるかもしれないけれど、十年間一つのことに打ち込めたのだ。これは僕の確かな強みだと、自信を持って良いはずだ。
とりあえず十年で。
そんな気持ちで、何かをやってみよう。
長く続くトンネルから、ようやく光が見えた気がした。
あとがき
初頒布:2020.11.22
コロナ禍となり読書会を休止した後、第三十一回文学フリマ東京出店に向けて参加者有志で同人誌『彩宴-iroutage- 』を作りました。その収録作です。
学生時代に友達以上恋人未満だった男女の十年後を、男性側から描いた作品。
紙の本になるというプレッシャーがすごかった……!!過去3作品よりも、かなり書いては消してを繰り返しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
文学フリマ東京出店に向けて作った同人誌『創刊号彩宴』に収録していた作品ですのでちょっとだけ差異をつけてます。この先には何もありませんが、「面白かったよ!」と思ってくださった方は記事の購入やチップで応援していただけると今後の創作活動の励みになります(チップはPCのみのようです)
購入したことがバレるの嫌だわ!という方にはゲスト購入する方法もあります。ゲスト購入すると私からは誰が買ってくださったのか分かりません。ヘルプページを載せておきますね。
▶会員登録せずに記事を購入する方法(noteのヘルプセンターのリンク)
では、また。
ここから先は
¥ 160
ここまでお読みいただきありがとうございます。宜しければご支援よろしくお願いいたします!