この季節がやってきました。
『最後の夏』で3年生達が奮闘します。
これまで培ってきた技術・体力・気力を発揮します。
『負ければ引退』そんな戦いです。
昨日、中学生の息子のバスケの試合を見に行ってました。
ウチの子にとっても最後の夏です。
なんとか勝ち進み、来週に最後の夏が延びました。
「一日でも、1試合でも多く、このメンバーでバスケをしよう」って先生も鼓舞してくださっています。
来週も勝って、市内大会に進むことが目標です。
一方で、
勝つチームもあれば、負けるチームもある。
接戦の末、ライバルチームが敗北しました。
ずっと切磋琢磨してきたチームです。
引退する3年生、
泣いていました。
人目をはばからず。
カッコイイです、スポーツマンです。
どういった理由かは分かりませんが、
上手くいかず悔しかったのか、
いまとこれからを思い悲しいのか、
いずれにしても
『懸けてきた』からこその涙だろうと思います。
中途半端だとそんな気持ちは起きません。
一生懸命、練習してきたんだろうと思います。
思い出しました。
ぼくも、その昔、高校球児でした。
何でも中途半端なぼくでしたが、
高校野球だけは人生の中でも正面から向き合えた唯一といって良いほどの経験だったと思います。
恩師が常々言ってくださいました。
『懸けることとは何か?』
弱いチームではありましたが、
一生懸命練習しました。
日夜、野球のことを考えていました。
グランドにいるときだけ一生懸命すれば良いというわけではありません。
少しでも長く練習ができるように、他のことは切り詰めて行動したり、
体調管理はもちろんのこと、
日頃の生活からケガをしないように注意を払います。
例えば、
出かけるときはスリッパなんて履きません。必ず靴です。足をケガしたら何にもできません。
エアコンなんて絶対つけません。エアコンに慣れてしまうと黒土のグランドには立てません。
服装や身だしなみ、普段の態度もそうですね。
きちんとしていないと、肝心なときにエラーしてしまったり、良い流れがこなかったりします。
思春期真っ盛りでも、髪型でカッコつけません。
プロ野球選手のように、髪の収まり方を気にして帽子なんてかぶってられません(笑)
そんな気持ちが散る余力はありません。
信仰のようなものかもしれませんが、野球ってきっと、そういうスポーツなんだろうと思います。
野球の神様が見ています。
普段ちゃらんぽらんなやつが最後の夏で活躍することはありません。
下手でも一生懸命やったやつが、ポテンヒット打ちます。
飛びついたグローブの先にボールが引っかかってくれます。
そんなドラマを数多く見てきました。
『懸けること』は、
他の何かを削ぎ落していくことのようにも思えます。
何かを得るには何かを捨てることも大切です。
色んなものに流されず、そこに注力していくことです。
他のことを捨てることは、いい加減にすることとは違います。
例えば野球をするから授業中は寝てて良いということではないですよね。
もう一歩踏み込めば、
懸けるためには、
他のこともきちんと分別して、集中できる環境を整えていくこととも言えます。
例えば勉強の例でも、試験休みも練習してました。
普段、きちんと授業を聞いていたら、練習休むほどじゃないからですね。
懸けるということは、
何かを捨てるだけではなく、研ぎ澄ませていくことと思います。
最後の神頼みで手を合わせたときに、スッと出てくる願いを。
流れ星が流れた瞬間にでも願っている未来を。
そんな想いを抱え続けることが『懸けること』なんだろうと思います。
高校野球では様々なことを学びました。
言わずもがなのものはいっぱいありますが、それとは別に、
何だか、そんなワークライフバランス的な、時間管理術や、分別と集中ということを学んだような気もします。
息子たちも、スポーツを通じて何かを得ているでしょう。
この暑いのに、一生懸命身体を動かしています。
先生方も休日なのに、生徒たちに指導してくださいます。
きっとプレーの内容よりも、教えたい何かがあるのだろうと思います。
そんなところを汲み取り、体感して、成長していってもらえると親としては嬉しいです。
今日もご覧いただきありがとうございます。
これまで懸けてきたものをぶつけていく『最後の夏』を迎えている皆さん。
応援しています。
努力している人は美しいです。
ひたむきな姿は美しいです。
きっとご本人にも、周りの人たちにも、糧になり、光となっているでしょう。
負けてしまいましたが、他の学校の中学生の涙に、元高校球児の心が揺らされました。
冒頭の写真は、写真は呼吸 <こさいたろ>|noteさんの作品を使用させていただいています。ありがとうございます。