"何を"言われたかより、"誰に"言われたか
色んな話を進めるときや、
情報を耳にするとき、
何を言われたかより、
誰からそれを言われたかの方が重要だったりしますよね。
それをつくづく感じることが多いです。
聞く側と、言う側の双方の視点から考えてみたいと思います。
冒頭の可愛いイラストは、ソエジマケイタ(キャラ・写真・似顔絵)|noteさんの作品を使用させていただいています。いつもありがとうございます。
①聞く側だと?
内容ももちろんですが、
誰から言われたか?は気にしてしまいますよね。
その人との関係性によって違うかなと思います。
例えば、同じ頼まれ事をされたとしても、
受け入れにくい相手もいれば、この人が言うなら何でもやろうっていう人もいると思います。
また、パワーバランスもあったりするのかなと思います。
職場なんかでの上司部下などの関係はまさにそうかと思います。
同じ提案でも、平社員と社長の言うことでは、残念ながら重みや影響力が違いますよね。
情報の正しさも曖昧になっている世の中です。
メディアが全て正しいとも限らないでしょう。
そんな中、誰が言っている情報か?というのも重要かと思います。
よりその情報源に近い人や、自分の信頼できる人からの情報だと、自分軸での信頼度は高くなると思います。
②言う側だと?
では、自分が何かを伝えたり、話したりする側だとどうでしょう?
先ほどの聞く側をひっくり返して考えれたらと思います。
いかに自分が信頼される人かどうか。
正しいであろう情報発信をしているかどうか。
そうした信用度の問題もあろうかと思います。
そして、関係性の問題。
関係性は一朝一夕にはできないんだろうと思います。
いかに正しい情報や、こうあるべき!という信念をもって伝えたとしても、自分とその人の関係が乏しければ受け止めてもらえない、ということもあろうかと思います。
ということは、やっぱり内容よりも、関係性が重要になってきます。
そのためには雑談や世間話を含めた身近に感じれる存在だったり、親近感、心を許せるかどうかが重要なのかもしれません。
営業術や交渉術のひとつのような話ですけど、
お互いに人間ですから、こういうところを無意識に大切にしているような気がします。
③とは言え・・・
“誰が”が大切とは言え、
”何を”をやはり大切にしたい。
自分にポジションパワーがなければ、発言も意味や影響力をもたないのか。
そうではないと思います。
関係性がなければ、何も伝えることができないのか。
そうではないと思います。
信念をもって、
より正しい情報やあり方を伝えようとする姿勢こそが、
その後の信頼関係の積み重ねかもしれません。
ぐるっと一周回って、
”何を”伝えるかというのが大切になってくるように思います。
時間的なスピード感の違いはあるかもしれませんが、
これが根本的に大切にすべきことなんだろうと思います。
ちょっと抽象的な話になってしまいましたが、
最近感じていたことを少し言葉にできた気がします。
今日もご覧いただきありがとうございました。
毎朝のこのアウトプットも、"何を"という大切な表現だと思います。
全国の皆さんに多くご覧いただき、お互いの記事を通じて関係性を築いていただいてる方が多くいてくださっています。
とてもありがたいことです。
そういう一歩一歩なのかもしれませんね。
これからもよろしくお願いいたします。