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欲しい未来へ、寄付を贈ろう。~支援する歓びをありがとう~

「支援する…歓び…?」

 「支援する歓びをありがとう」。とある寄付者から届いた手紙を、私は何度も読み返した。「支援する…歓び…?」寄付をいただくことに対して申し訳なさや情けなさを感じていた私は、正直とても驚いた。でも。たしかに「支援する歓び」はある。私もそれを感じていたからこそ、ここまで活動して来られたのだろう。

何もできない無力なわたし

  東日本大震災が起きた2011年3月11日、私は東京にいた。「これからは社会貢献を仕事にしたい」と、新卒で入った会社を前年に退職し、青年海外協力隊を志して勉強をはじめたころだった。

 震災と原発事故、その後に起きた計画停電により、すべての予定やイベントはキャンセルになり、私は自宅でひたすらテレビを見ていた。「人って、こんな簡単に死んでいいんだっけ……?」 CMのたびに増えていく死者行方不明者数のテロップを見ながら、そんなことを思った。現地には、いまも寒さに打ちひしがれている人たちもいると思うと、ヒーターをつける気にもなれず、寒い部屋で布団をかぶって、一日中テレビとSNSを眺めていた。

 たまたま自衛隊や消防士や医療関係の友人がいて、「仲間の派遣を見送った」とか「いつ自分が派遣されることになっても大丈夫なように準備をしておこう」などと発信していた。直接命を救うことのできるスキルを持つ彼らの、なんと尊いことか。対して、自分は? 人の命を救うようなスキルどころか、運転免許すら持っていない自分を呪った。

 無力感に打ちのめされながら、自分に誓った。「なんのスキルももたない私でも、被災地の役に立てる日が来たら、必ずボランティアに行こう」そして、その日は意外と早くやって来た。

ボランティアとして、被災地・宮城県石巻市へ

 2011年4月23日。私は大勢のボランティアたちと共に、バスで宮城県石巻市に着いた。あの日見た日和山からの光景を、私は生涯忘れないだろう。満開の桜。静かな海。そして、眼下に広がる見渡すかぎりの瓦礫——。テレビでたくさん見てきたはずの景色なのに、自分の目で直接見るのはぜんぜん違っていた。誰にも気づかれないように、静かに涙した。

 活動は1週間の予定だった。ボランティアは自己完結。水も食糧も持参し、テントを張って寝袋で寝る。もちろんお風呂にも入れないし、トイレは仮設トイレだ。4月の東北は予想以上に寒く、朝4時半に寒さで目が覚めると、頭の中は「寒い、寒い、寒い…」でいっぱいに。慣れない泥かきで、全身筋肉痛になり、テントの中で起き上がるのも困難だった。

 ボランティアとしての生活も活動も、決して楽ではなかったが、「目の前に私でもやれることがある」「誰かの何かの役に立てている」と思うと、心の中は楽だった。「まだやれることがある。ここで帰るわけにはいかない」活動の延長を決めた。

最初の1週間はマッドバスターズ(泥かき)の活動に参加。
ヘドロでいっぱいの土嚢袋は重たくて、全身筋肉痛に…(左手前が筆者)
ヘドロでいっぱいの土嚢をダンプに積んで、集積場所へ。
私たちが座っているのは、ダンプの荷台…笑(左手前が筆者)

もっとも苦労した資金調達

 避難所、まち、浜、工場、仮設住宅。刻々と変化する状況とニーズに合わせて、さまざまな場所で活動し、気付けば6年が経っていた。私は1年間のボランティアの後、災害支援団体の職員を経て、震災から丸5年の節目に任意団体を設立した。「最後のひとりが仮設住宅を出るまで」を目標に、孤立しやすい仮設住宅で、見守り・訪問・傾聴活動を行なう団体だ。

 活動の中で、もっとも苦労したのが「ファンドレイジング」、いわゆる資金調達だった。どんな活動をするにもお金がかかる。事務所の家賃、光熱費、携帯代、WiFi代、活動に使うレンタカー代にガソリン代。それに、スタッフの人件費。それらの費用を賄うため、私は毎年胃の痛い思いをしながら助成金の申請書を書き、寄付を募った。特に、団体設立初年度はクラウドファンディングを立ち上げたので、多くの知人・友人たちが寄付をしてくれた。どんなに良い活動をしていると思っていても、「お金をください」とは言いづらいもの。寄付をしてくれた人たちに対しても、私はずっと「申し訳ない」「情けない」という気持ちが拭えなかった。

 そんなときに届いたのが、冒頭の「支援する歓びをありがとう」という手紙だった。「支援する歓び」。思ってもみなかった言葉に鳥肌が立った。と同時に、寄付者は志を同じくする「仲間」であることを実感した。「申し訳ない」なんて思っている暇はない。胸を張って寄付をいただき、その分活動と感謝でお返ししようと思った。

地元の方たちと一緒に、支援団体を立ち上げた
仮設住宅へ、新聞と一緒に元気と笑顔をお届け
時にはお部屋に上げていただくことも

母になって感じる「支援できる歓び」

 あれからまた数年が経ち、私は母になった。今は横浜に居を移して、年に4~5回石巻に通っている。仮設住宅はなくなったが、代わりに復興公営住宅の訪問を続けている。

 子どもを持って思うのは、「どんな未来を子どもたちに残せるのか」ということ。私たちが生きる社会にはさまざまな課題が山積している。気候変動、災害、孤立、貧困、高齢化、人権… 私が石巻で見てきただけでも、多様な課題がある。こんな課題だらけの未来を、子どもたちに手渡すのか…? とはいえ、私が人生を掛けても、できることには限界がある。

 そんなとき、誰もができる社会貢献のひとつとして「寄付」があるのではないかと思う。自分は直接活動できないが、想いをお金に乗せて託す。それが寄付だ。

 12月は「欲しい未来へ、寄付を贈ろう」が合言葉の寄付月間。もっと楽しい未来。もっと優しい未来。もっと平和な未来。もっと多様性が認められる未来。一年の終わりに、未来を想い、「欲しい未来」を叶えてくれるさまざまな取り組みに、想いを託す。「支援する歓び」を感じながら、私は今年も寄付をする。 

二児の母になった今、子どもたちに少しでも明るい未来を手渡すために
「寄付をしたい」と思うように

▽ポッドキャスト(朗読版)はこちらから
https://open.spotify.com/episode/5303tFNPe5CG8IBF6C3OEp

#寄付月間 #わたしの寄付を語ろう #12月は寄付月間


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