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 私たちは言葉を通じて意思疎通を図っています。自分たちが言葉をどのように運用するかは、自分の意見や感情を伝える上で、非常に大切だと言えるでしょう。

 その時に注意するべきポイントの1つに「言葉の定義を明確化」することがあるように思う、自分が使っている言葉が、どのような意味を持つのか、を把握することは、私たちの言語運用能力を向上させる上で大切な要素であるように思う。

 以前、国語力の正体とはというコラムを書きました。

 自分の母語はあまりにも身近であるが故に、その力を向上させる術は非常に難しい。読書をすれば単純に母語力が上がるとも言われていますが、それはあくまで要素の1つにすぎない。読者を通じて様々な語彙を獲得し、言葉に対する定義を理解し、そしてそれを他者との関わりに中で、擦り合わせていく作業が必要なのではないかと。

 『東大生語る「頭がいい人」は「語彙力高い」その根拠 「目的と目標」「信頼と信用」どう意味が違う?』という記事を見つけました。

 記事の中で、「ドラゴン桜」の編集担当としても活動する現役東大生の西岡壱誠氏も、頭のいい人とそうでない人の差は語彙力に現れると述べています。

 言葉を「分けて」使うことができていないというのは、その概念を「わかって」いないということと同義なのです。ちなみに、「わかる」という言葉と「分ける」という言葉が似ているのは偶然ではなく、もともと「わかる」という言葉の語源は「分ける」であるという説があります。「わかる」は、「分ける」なのです。

 私たちが何かを議論する時、その議論するテーマをしっかりと定義しなければならない。例えば、「日本を良い国にするにはどうすれば良いか」について考える時、私たちはまず「良い国」とは何かを明確にする必要があります。問題の本質を捉えるためには、まず解決するべきものが何なのかを共通認識で持たない限り、議論は不毛なものになってしまうでしょう。言葉の定義に対する感覚を鋭くするためには、普段私たちが何気なく使う名詞の意味をしっかり定義することから始まる。記事の中で紹介されている、「目標」や「目的」の違いは、日常の中でそこまでその違いを意識しなくても、「なんとなく」理解できてしまう。しかし、そのような「なんとなく」の蓄積は、いずれは互いのコミュニケーションの齟齬に繋がり、物事をしっかり理解する上での大きな障害になりうるのです。

 学校教育においても、1つ1つの言葉の定義に目を向けることが必要です。


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