#257 皆勤賞を取った生徒の保護者の言葉から考える継続と毎日投稿の意味
365日連続投稿を目指し、noteの毎日投稿を続けています。今日で150日目。
1つのコラムを書くまでに私は3つの作業を行います。
①各ネタを探す → ②構想を練る → ③字化する
比較的スムーズに作業が進んだ場合、20分〜30分で完成しますが、なかなかうまく行かない時は2時間ほどかかる。多くの場合、詰まるのは1か2の工程。この部分で時間を取られると徐々に苦しくなってきます。
このコラムを書いているのは、まさに苦しい時。3つほど書きたいネタを見つけたのですが、構想がなかなか上手くいきません。毎日投稿という目標が自分を苦しめているのかなと思う時もあるけども、逆にその縛りがあるからこそコラムを書く側面もある。もし今途中でコラムの投稿が途切れてしまったら、もう二度とコラムを書くエネルギーが出ないのではないか。そんな不安もあります。
そんなことを考えていたら、ふとある生徒と保護者のことを思い出しました。私が勤めていた学校では、コロナ前まで「皆勤賞」がありました。併設型中高一貫校でしたので、一番長くて6年間皆勤です。遠い自宅から毎日欠かさず通学していたその生徒もまた中学1年生〜高校3年生まで1日も学校を休むことなく、皆勤賞を受賞しました。
卒業式の日、その生徒の保護者と話す機会があり、私は「皆勤賞すごいですね」と声をかけたら
「先生、違うんです。彼女はそれを自分の義務にしてたんです。学校は遠いし、勉強も部活も大変。日々の学校生活が決して楽しくなかったわけではないけれど、序列が高いわけでもなかったでしょ?だから、彼女は不安だったんです。いつか自分が学校に行けなくなってしまう日が来るのではないか。だから決して学校を休まないと彼女なりに決意したんだと思うんです。1日でも学校を休んでいたら、おそらく彼女は不登校になっていたと思います。家族の中では、そのことについて話はしなかったけれど、毎朝それなりの緊張感がありました」
と言われました。
人は何かしら自分の中に「緊張」を抱えて生きています。それは決して誰かに強制されたものではなくても。その緊張が自分を支えてくれることもあれば、苦しめてしまうこともある。多くの人の言葉に助けてもらいながら、今日も1つコラムを書くことができました。