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 人は今まで当たり前に感じていたものを失うことで、新たな気づきを得ることができます。 
 一人暮らしをして保護者のありがたさと共に、自由を実感する。恋人との別れを経験することで、自分のいたらなさを知り、次は同じ過ちをしないと心に刻む。仕事をやめることで、新たな世界を知ることができる。

 岐阜県立岐山高校では、髪型や化粧に関する校則を3週間にわたり一時的に撤廃する試みを実施しました。

 当然、生徒の意見はそれぞれ。

「おしゃれができることで朝とかちょっと大変なんですけど来たらほめてもらえる。モチベーションが上がっていい感じです」。

「みんな茶髪とかピンクもありみたいな。そういう学校は自分の母校として、紹介したくない」

「自己肯定感が上がったという意見が出てきた。続けていってもいいんじゃないか」。

 当学校長の石神氏は、賛否両論が起こるからこそ、そこに学びがあると語っています。

 個人的に思うのは、「強制しないことの大切さ」。人にはそれぞれの感性があり、時としてその感性がアイデンティティと繋がることもある。例えば、髪の色を染めることで自分の意思を明確に表現できることもあるのです。他者にとってそれが理解できなくても、その気持ちは本人のもの。それを否定する理由が私にはよくわからないのです。

 記事の中では

「学生らしさって何かって思うことが増えました。高校生だから見た目をかかわいくしたいと思うけど、面倒な部分もあってそこに時間を割いちゃうのはもったいない」

という意見も紹介されています。

 「学生らしさ」って何だろう。主語が大きいように思います。学生らしさ、日本人らしさ、なんて客観的に誰も定義できないのではないか。その定義に普遍性など存在しないのです。大切なのは、一人ひとりが安全に、自分の学びを進めていける、そういう学校なのではないかと。

 これも1つの意見。まさに賛否両論の中にいる私の存在自体が、校則撤廃期間の大きな意義なのだと思います。


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