#585 中立性を保った批判
私たちは様々な人と人間関係を築いていきます。楽しい時ばかりではなく、時にお互いの意見がぶつかり気まずい関係になってしまうこともあるでしょう。
その中でも、特にお互いが「利害関係者」となりうる場合(つまりは主に仕事を介する人間関係)は、それが起こりやすくなると言えるでしょう。経済的成果を出すという共通の目的を達成するためには、専門的な知識や技術が必要になる。もし仮に相手が知識や技術に誤りがある場合はそれを正す必要があるし、逆にこちらが間違っていたら、それは指摘されるでしょう。
『<仕事への批判>を<自分への非難>と捉えて気落ちしていませんか?精神分析医「自己肯定感が低い人ほど誤った認識を持ちやすい」』という記事を見つけました。
キム・ヘナム氏はパーキンソン病と闘う韓国の精神分析医で、『「大人」を解放する30歳からの心理学』の著者。そんな彼が記事の中で、「批判の捉え方」について以下のように語っています。
確かに同氏の述べていることは個人的には概ね正しいと感じます。一方、彼が述べる「脆弱性」という言葉に違和感を抱く。彼の意見を全て受け入れれば、それはつまり、批判されている側のマインドのみに原因があるようで、「批判する側」には問題がないように思えてしまうから。前述したように、ある一定の成果を求める場合、互いに批判することは避けられない時があります。では相手がそれを彼のいる「行為=自分自身」の構図として受けらないようにするためにはどうすればいいのかという観点が必要です。それはつまり、相手を人としてリスペクトをしていることを基盤としているかどうか。
特に業務において、自分の資本的価値と相手のそれを比べる傾向にある。相手を批判する際、マウントをとるような形で、いわば逆に自分の優位性を示すために使う人もいる。そのような人に対してネガティブな感情が出てくるのは、ある種当然のことだろうと思うのです。
相手の間違いを指摘する時、相手への批判を行う時、そこには必ず相手の存在を尊重するんだという強い意思が必要になる。それがなければ、結局互いの「価値」を比べるゲームの中に入り込んでしまい、結果、成果もあげられなくなるのです。
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