見出し画像

距離を置く。


思春期の摂食障害になった16歳の頃から
長年、母と不仲だった。

安心・安全な基本的人間関係というものを
母と築くことができずに大人になり
未だに一部の人間に対して信頼できない気持ちで

生きづらさを抱えている。


母は数年前にパーキンソン病になった。


病気になったことをきっかけに
自分自身と向き合ったようで
少しは変わって思いやりというものを

身につけたようだった。


ここ数年ほぼ毎日のように長電話して
いろんなことをお互いに話してきた。


けれど

母が話すのは一緒に暮らして介護してくれてる
姉への愚痴や不平不満。


聞いてるのも疲れる。
これも最近疲れた理由かなと思った。


何よりも姉がいっぱちの悪口を言っている
ことや、姉の友人のお母様がいっぱちへの
侮辱的な発言をしたこと
まで

母は漏らす。


何も考えないで言っているのか、
意図的になのかは不明だけど


言わなければ自分は不快にもならずに
過ごすところをわざわざ不快な気持ちにさせる
ことを漏らす



こんなことが度々続いていることで
だいぶ我慢してるなと思い

息子や夫に、以前のように
もう母とは連絡取らない方がやっぱりいいのか
と相談してみた。


息子も夫も、少し距離を置いたら?

という意見だった。


やっぱりそうか。


昔から続く母との関係はやはり
変わる事はないのか。


母が急に別人になるわけがないし
いくら病気になって価値観が変わったと
しても基本的な部分はそう簡単には
変わらない
だろう。


40年以上生きてきて
母と関わりがない時期も何度もあって
そういう時期ほど人生は充実してきた。


それがわかっていて
なぜ母との関係にしがみつくのか?


自分が自立できていないのだろうか。


母が心配だったり気になってしまうのだ。

放っておけなくて
つい電話をかけてしまう。



母と繋がっていても
得られるものはあまりなくて
奪われることの方が多い


不快な気持ちになることを
言われてまでなぜ付き合ってるんだろうか

と疑問に思い始めた。


自分が病気で調子が悪くなるための
根源である母と繋がり続けるのは
自分虐めみたいな(自傷行為)なのかな

と思うようになった。


不快なら離れよう。


辛い状況の中に居なくてもいい。


自分だけ幸せになってもいい。
楽になってもいい。


そこに罪悪感を持たなくていいんだ。


そう自分に言い聞かせて
母と距離を置く心を固める。


母と健康的で安心・安全な信頼できる
人間関係を築けてこれなかった深い傷跡
あるけれど


その悔しさどうにもならない寂しさ
ドロドロした感情をエネルギーに変換して
【豚汁おにぎり屋】の活動を頑張ろうと思う。


子供だった頃も、思春期の頃も
大人になっても


ずっとずっと


そうやって生きてきた。


昔の主治医に言われた言葉
最大の復讐は自分自身が幸せになることだよ


その通りだ。

そう思って全力で幸せになるために
暴走するようにわき目も振らずに走り続け
突っ走ってきて今がある。


今、我が家は本当に平和だ。
(夫と娘の不仲はあるけど💦)

娘は猫みたいに懐いてきて
自分の身体に纏わりつくように
絡んでくる
ところなんて


可愛くて仕方ない。


息子とはさすがに
ハグはあまりしなくなったけど
手でタッチしたり
コミュニケーションはよく取る。


逞しくなって自分に頼ることが
かなり減って自立してきている。


夫は自分の片想いなところは
ちょっと寂しいけれど
そこそこに愛してくれるし
大切にしてくれている。


思い詰めてる自分に冗談を言って
和ませてくれるところなんて
本当に感謝だ。


毎日夕飯のあと、デザートやお菓子を
食べる我が家だけど

夜はリビングに皆んな集まって
それぞれ自分の好きなことをするのが
我が家のスタイル。


これが平和だなとつくづく感じる。



細かいことで誰かが誰かを批判したり
否定したり
することもないし

互いを尊重し合って適度に放置する。


育った環境は地獄だったけれど

今は温かい人間関係に恵まれていて
幸せだ。


母とは距離を置いて大切な家族のための
生姜焼きとポテトサラダを作ろう。


母と離れる時間は
自分の成長できる時間なのかもしれない。


甘えてしまい過ぎる自分に
母からのエールとも捉えられる。



満たされない心のやり場を
【豚汁おにぎり屋】に投入して。


明日は晴れると良いな。


そこそこ
コツコツやろう。
そこそこ
できることをやろう。


いいなと思ったら応援しよう!