人生の節目、あるいはコンマについて2
京都で迎えた3日目の朝、僕は京都タワーの地下3階にある大浴場にいた。
「京都タワーの地下にお風呂?」
昔から温泉や銭湯が大好きだった僕は、それを知った時にびっくりしワクワクが止まらなくなった。僕は思春期の多くの時間を東京タワーの近くで過ごしたけれど、あの地下に大浴場があったらどんなに素敵だろうと思う。
夜行バスを使って京都にやってきた1日目、到着するや否やまず向かったのがその大浴場だった。朝の早い時間にも関わらず多くの人で賑わっている雰囲気がすぐに好きになり、2日目、3日目と朝一番にこの浴場へと足を運んだ。
前日と同じように料金を支払い、脱衣所で空きロッカーを見つけて服を脱ぐ。ちょうど僕がズボンを脱ぎ、上半身の脱衣を済ませようかというとき、床に置いたiPhoneに着信の表示があらわれていた。
発信元は登録された電話番号でなく、無機質な数字の羅列が「ヴー...ヴー...」という振動音と共に表示されている。よくみると、僕の地元の市外局番であるということがわかった。
「ああ、きっと家具を購入した無印良品か、ビックカメラからだ」
僕はすぐにそう思った。そして申し訳ないと思いつつ、入浴が終わったタイミングで折り返しをしようと決め(何しろ下半身はパンツ一枚、上半身は腕に衣服がからみついているだけの状態だったから)、その電話をそのままロッカーに放り込む。そしてひきつづき脱衣を済ませてしまうと、僕はガラガラガラ...と引き戸をあけ浴場へと入った。
まず髪と身体を洗い終えてしまうと、あとはただひたすら風呂に浸かる。僕は普段、自宅ではシャワーしか使わないが、こういった旅先では異常な長風呂になる。とにかく「もうこれ以上はいいや」という気分になるまで、お湯の中で周りの光景を楽しんだり、あるいは他愛のない考えごとをするのが習慣になっていた。
その日の風呂の中で考えていたことは、なぜだか今もよく覚えている。僕がこれから、最短でも6年間を過ごすことになる九州。その九州という地を進路に選んだことの意味や、そこでの生活について、僕は浴場中央にある噴水をぼんやり眺めながら思いを巡らせていた。
僕はこれまでに出逢った人、影響を受けた人たちを通じて、九州に小さくない憧れがあった。それでも、南方の地で生活を始めることを決めたそもそものきっかけは、自発的なものではない。
つまるところ、ほかに選択肢が残されていなかったのである。関東出身である僕は、社会人を経ての再入学ということもあり、親や兄弟に不要な負担をかけないよう地元の大学に通うことを望んでいた。けれど僕の学力が及ばず、合格通知を受け取ることができたのは、4月から通うことになる九州の一校のみだったのだ。
ドボドボと、無数の白泡を立てて湧き出すお湯の塊を見つめながら、今度は若い友人を思った。一年間、共に受験勉強をしてきた予備校の仲間たち。彼らの多くは、関東の大学へと進学することになっていた。
つい2-3週間ほど前に彼らと打ち上げをした時、寄せ書きをもらった。苦楽を共にしお世話になったメンバーからの、「遠方の地でもがんばってください」というメッセージ。それらはとても嬉しくて、あらためて仲間に恵まれたことに感謝の念が湧く。
...ただ同時に、胸の片隅では何とも言えぬやりきれない思いもあった。関東に残る多くの仲間たちと、結果としてそれが叶わず、九州へと足を踏み入れる僕。こうして一緒に笑っているけれど、そこには何か一本の見えない線を引かれてしまったようだった。さらに、6年間という時間の長さは僕を途方に暮れさせる。見えない線は、そのまま分厚い壁になってしまうのではないか?色とりどりのペンで書かれた励ましの言葉を目で追いながら、僕は一抹の不安を感じていた。
そしてその気持ちは、すでに地元を離れこうして京都で風呂に浸かる今この時にも、まだ確かに残っていたのだ。
(つづく)
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